世界の通貨 スウェーデン

スウェーデンの基礎知識

正式名称
スウェーデン王国(Kingdom of Sweden)
首都
ストックホルム
公用語
スウェーデン語
独立日
1523年6月6日(デンマークより独立)
政治
立憲君主制
元首
カール16世グスタフ国王
首相
ステファン・ロベーン
中央銀行
スウェーデン国立銀行(スウェーデン銀行)(Sveriges Riksbank)
スウェーデンの歴史
スウェーデンとは、スヴェーア人の国を意味します。スウェーデン最初の王エーリックが即位した980年代以降、スウェーデンではしばしば男系王統が途絶し、王家の血筋とつながりのある複数の門閥が王位を争いました。1397年には、王アルプレヒト3世の専横に反発した貴族がエーリク・ア・ポンメルンをスウェーデンの王として承認し、スウェーデン、デンマーク、ノルウェーは1人の君主を戴く同君連合、カルマル同盟を形成(1397年)し、門閥による王位争いはいったん終息したように見えました。
しかし、1520年、その後連合王となったクリスチャンがストックホルムでの戴冠式で、反連合派の「王国統治者」ステューレ家一派を虐殺(ストックホルムの虐殺)。処刑されたステゥーレ派ヴァーサ家のグスタフ・ヴァーサが連合王に対して蜂起し、1523年に独立スウェーデンの王に選出され、カルマル連合に終止符を打ちました。カール10世の治世(1654-60)にはバルト海をほぼ完全に制覇し、「バルト帝国」を築き上げ、最盛期を迎えます。
1700年に大北方戦争が始まると、スウェーデンはバルト海沿岸の多くの領土をロシアに奪われ、バルト海での覇権を喪失しました。ナポレオン戦争においては反ナポレオンの立場をとり、最終的に勝利を収め、ウィーン会議においてはフィンランドなどの領土を失う一方、ノルウェーを獲得しました。1866年には二院制議会が設置され、1908年には成人男子による普通選挙制度が導入されました。1905年にはノルウェーの独立を承認し、第1次、第2次世界大戦では中立の立場を維持しました。
1995年には欧州連合に加盟しましたが、2003年9月のユーロ参加の是非を問う国民投票では、反対多数でユーロ参加が見送られました。

スウェーデンのお金の種類は?

スウェーデンの通貨単位は「スウェーデン・クローナ(svensk krona),略称は「SEK(セック)」といいます。また、補助通貨はオーレ(ore)で、100オーレは1クローナに相当します。

スウェーデンでは、5種類の紙幣と4種類の硬貨が流通しています。

紙幣 20クローナ、50クローナ、100クローナ、500クローナ、1,000クローナ
硬貨 1クローナ、2クローナ、5クローナ、10クローナ
500スウェーデン・クローナ札のイメージ画像

スウェーデンクローナ円相場の変動要因

スウェーデンクローナも、米ドルと同様に経済指標や要人発言が主な変動要因となっております(具体例は米ドルの紹介ページをご参照ください)。ここでは、そのほかにも注目しておきたい変動要因を紹介します。

ユーロ円相場の動向

スウェーデンはEU加盟国であり、欧州経済圏に属しています。そうした経緯からスウェーデンクローナはユーロ相場と相関性が高く、スウェーデンクローナ円相場はユーロ円相場と似た動きをする場面が目立ちます。

スウェーデン経済の動向

スウェーデンは一人当たりGDPが世界第7位(2013年・IMF)の先進国です。リーマンショック後の景気回復はめざましかったものの、欧州債務危機以降はユーロ圏景気の低迷につれてスウェーデン経済も停滞気味に推移しています。

スウェーデンクローナ円相場の推移

スウェーデンクローナ円相場の推移のイメージ画像

スウェーデンは、深刻な不況に見舞われた1990年代に、ユーロの前身である欧州通貨単位から脱退して変動相場制へと移行する事で、実質的にスウェーデンクローナの切り下げを行いました。こうした動きに円高の流れも加わり、スウェーデンクローナ円は95年5月に10.60円台まで下落。1990年代後半から2000年台前半の浮き沈みを経て、2007年7月には「円キャリートレード」の活発化などから18.40円台へと上昇しますが、2008年9月のリーマンショックをきっかけに翌年3月には10.30円台まで下落して史上最安値を記録。その後2010年から11年にかけてスウェーデン中銀が複数回に及ぶ利上げを実施しましたが、ユーロ圏債務危機の影響などから上値は13円台までに留まっていました。しかし、2012年後半からのアベノミクス相場で円安の流れが鮮明になると14年1月には16.40円台まで上昇しています。

スウェーデン関連リンク集

出典