世界の通貨 オーストラリア

オーストラリアの基礎知識

正式名称
オーストラリア連邦
首都
キャンベラ
公用語
英語
政治
立憲君主制のもと、議会は二院制(全国州評議会、国民議会)を採用
元首
エリザベス2世英国女王
首相
スコット・モリソン
中央銀行
RBA (Reserve Bank of Australia オーストラリア準備銀行)
オーストラリアの
歴史
1788年1月26日、シドニー湾に入港したアーサー・フィリップ率いるイギリス船団は、ニュー・サウス・ウェールズ植民地を宣言しました。それからオーストラリアはイギリスの流刑地となり、イギリスで罪を犯した人は軽犯罪でもオーストラリアに流刑されたといわれております。1810年頃から開拓が本格化し、その後イギリスによる植民地化が始まりました。19世紀後半には人口が増加し、経済が発展していきますが、そのころから次第に植民地の自治を求める声が強くなった結果、1901年1月1日に連邦国家、オーストラリア連邦が誕生しました。
このように、事実上イギリスから独立しましたが、独立後もイギリス国王への忠誠からイギリスの戦争には度々参加しており、イギリスとその植民地であった独立の国家からなる緩やかな連合(イギリス連邦)にも加盟しております。また、現在エリザベス2世英国女王がオーストラリアの元首となっております。
なお、ヨーロッパからの白人移民が減り続けたことを受けて、1980年代には白豪主義(白人以外の移入を厳しく制限した政策)を撤廃し、世界中から移民を受け入れる「多文化主義」へと移行しました。

オーストラリアのお金の種類は?

オーストラリアの通貨単位は「オーストラリア・ドル(「AUS$」あるいは「AUD」と表記されます)」といいます。オーストラリア・ドルは「豪ドル」と呼ばれることもございます。また、補助通貨として「セント(「¢」で表記されます)」もあり、100セントは1豪ドルに相当します。

オーストラリアでは、5種類の紙幣と、6種類の硬貨が流通しております。

紙幣 5豪ドル、10豪ドル、20豪ドル、50豪ドル、100豪ドル
硬貨 5セント、10セント、20セント、50セント、1豪ドル、2豪ドル
100豪ドル札のイメージ画像

豪ドル相場の変動要因

豪ドルも、米ドルと同様に経済指標や要人発言が主な変動要因となっております(具体例は米ドルの紹介ページをご参照ください)。ここでは、そのほかにも注目しておきたい変動要因を紹介します。

高金利に着目した豪ドル買い

2008年3月には7.25%まで引き上げられていたオーストラリアの政策金利は2012年3月現在4.25%となっています。それでも他の先進国と比べると高水準となっており、金利差収入を狙った海外マネーが流入しやすい環境が続いていると言えます。その一方で、世界的に株価や商品価格が下落するなどのリスク回避局面では、海外からの投資マネーが巻戻されるため、豪ドルが大きく下落する事も珍しくありません。

商品相場の動向

オーストラリアは、石炭や鉄鉱石の他、アルミニウム、原油、ボーキサイトなどの資源輸出大国となっています。そのため、資源価格の上昇はオーストラリア経済に好影響を与えるとの見方から豪ドル高要因となる事が多く、反対に資源価格の下落は豪ドル安要因となるなど、豪ドル円相場は原油などの商品相場の騰落に連動するケースが目立ちます。

豪ドル円相場の推移

豪ドル円相場の推移のイメージ画像

1990年には120円台を付けていた豪ドル円相場は、1995年には円前面高のあおりを受けて58円台にまで下落。その後、1997年には100円台まで持ち直しましたが、2000年11月には豪州景気の悪化を背景に再び下落して55円台前半を付けました。しかし、21世紀に入ると、豪政府による景気刺激策や豪準備銀行による金融緩和が功を奏して、豪州景気は回復軌道に乗り、豪ドル円相場は2007年11月に約16年ぶりの高値水準となる107円台にまで上昇しました。この間、豪州の政策金利が6.75%にまで引き上げられた事を受けて、低金利の円を売って高金利の豪ドル買うという「円キャリートレード」が活発化した事が相場を押し上げました。しかし、2008年秋の「リーマンショック」によって世界経済に混乱が生じると、同年10月には54.96円の史上最安値を記録するなど、1ヶ月間で30%以上という急激な下落に見舞われました。その後の景気回復局面では、先進国の中でいち早く利上げに踏み切った事などから再び上昇基調に転じ88円台まで急速に値を戻したものの、ここ3年ほどは、ギリシャに端を発した欧州債務問題などの影響により世界景気の回復が思うように進まない中で、70円台前半から90円付近という比較的大ぶりなレンジでの往来が続いています。

オーストラリア関連リンク集

出典