野村雅道のID為替 (レポート)|FXブログ|外為どっとコム

「ポンド物語」 2015年5月投稿

「ポンド物語」 2015年5月投稿

*1984年、私がNYで為替を始めた頃聞いた話。
 ポンドの相場を他の銀行から聞かれた時、モニターもなく、ブロ-カーもプライスをもっていない。先ずは煙草を一服。ファンダメンタルズやその他もろもろを考えて数分後プライスを提示したところ、相手から大台が違うよと親切な指摘を受けた(優しい)。

*上司からポンドはいくら売ってもいいよと言われた。レベルは1ポンド250円から300円あたり。日本の銀行は先ずは英国で国際業務を始めた。為替相場は1000円前後、そのあたりでの投資がいくらでもある。ヘッジはしてもしきれない

*私はNYでドル円の為替から始めたが、日本に戻った時はまだ若手でポンドやスイスを任された。当時マーケットメーカーは東銀、興銀、住友の3行だけ。富士銀行はその日の気分次第で参入 非常に薄い市場であった

*ポンドが1を割りそうな時であった。1日で20万ドル(当時で5千万円)儲かったが、翌日北海原油の下落ですべて吐く。その後儲け返すが
 こんなに苦労する通貨はないと思った。ドル円がよっぽど簡単である

*当時は5本プライスを15ポイント(15銭)でクオートするが、たたかれると同時にまったくカバー出来ないこともあった。今もその名残はTTS-TTB幅が8円にある

*香港の英国銀行に5本プライスに聞くと、2.5本にしてくれと答えられた。若輩の私は怒って「ARE YOU REALLY BRITISH BANK?」と聞いてしまった。胴元も弱いから市場が薄いのであった。むしろ米銀が果敢に取引してくれた

*銀行の過去のポンド取引帳を見たら偉そうにしている上司がポンドでまったく儲からず大損をしていた。ポンドは難しいのである

*当時G-5で大幅ドル安が進んだが、ポンドは大きくは上昇しなかった。北海原油の下落があったから。ポンドディーラーはご難であった

*損はしなかったが労多くして儲け少ない。ただドル円は簡単だが、ポンドの何十倍もの収益目標が課される

*くれぐれもポンドには細心の注意、大胆に、常識にとらわれずやってください。

*1980年代はポンド短期金利は10%以上の金利であったが、利上げをすると(他の通貨もそうであったが)大きく下落することが多かった。

*その他ポンドの悲喜こもごもの話は尽きないと思う

FX湘南投資グループ代表
野村 雅道(のむら・まさみち)氏

1979年東京大学教養学部を卒業後、東京銀行(現三菱UFJ銀行)入行、82年ニューヨーク支店にて国際投資業務(主に中南米融資)、外貨資金業務に従事。85年プラザ合意時には本店為替資金部でチーフディーラーを務める。

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