野村雅道のID為替研究所 (Day)|FXブログ|外為どっとコム

こういう時代もあり尊敬されたアメリカ

「ララのしなつまれたる見てとつくにの

           あつき心になみだこぼしつ

   あたゝかきとつくに人の心づくし

           ゆめなわすれそ時はへぬとも」(香淳皇后)


ララ物資の記念碑
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敗戦以降、戦後の混乱によって日本各地で厳しい食糧危機が生じ、横浜市においても餓死者が続出する事態となった。特に乳幼児や児童の栄養不足は深刻な問題であり、栄養価の高い食料の供給が求められた。こうした問題は海外でも憂慮され、困窮者を救済するために結成されたのが「ララ(LARA)」(Licensed Agencies for Relief in Asiaの略:アジア救援公認団体)である。ララは、アメリカの宗教団体や社会事業団体などで構成された団体で、北中南米の在留邦人や日系人も、寄付金や救援物資の募集に大きな役割を果たした。
 ララが集めた救援物資は、昭和21(1646)年11月30日に輸送第1船が横浜港の新港埠頭へ入港したのを皮切りに、昭和27(1952)年まで継続して届けられた。その内容は、ミルク類などの食料品が最も多く、次いで衣料品や靴などがあり、乳牛やヤギも含まれていた。「ララ物資」と呼ばれたこれらの救援物資は、横浜港から全国の社会福祉施設などに送られ、その多くが乳幼児や児童に分配された。また、ララ物資は学校給食にも用いられ、横浜市でもこの物資をもとに小学校で給食が提供されることになった。
 ララ物資は、窮乏を極めた当時の日本国民にとって、忘れることのできない贈り物であった。物資を寄付した人々への感謝と、物資輸送の実現に尽力した人々の功績を後世に伝えるため、平成13(2001)年4月に、ララ物資の記念碑が新港埠頭に建てられた。碑面には、昭和24(1949)年に、香淳皇后が昭和天皇とともにララ物資の倉庫を行幸啓した際に、救援物資を贈った人々への感謝の気持ちを詠んだ御歌が刻まれている。 (横浜市広報中区版)
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FX湘南投資グループ代表
野村 雅道(のむら・まさみち)氏

1979年東京大学教養学部を卒業後、東京銀行(現三菱UFJ銀行)入行、82年ニューヨーク支店にて国際投資業務(主に中南米融資)、外貨資金業務に従事。85年プラザ合意時には本店為替資金部でチーフディーラーを務める。

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