
外国人観光客が押し寄せ、観光収入は記録を塗り替える一方で、地元市民は自国のリゾートに行けず、食料品を買いに隣国へ向かう。これがいま、トルコの観光業が抱える矛盾の実像です。
2025年、トルコの観光業は輝かしい数字を打ち立てました。文化観光省の発表によると、外国人訪問者数は6,400万人、観光収入は652億ドルと、いずれも過去最高を更新しました。世界の観光客ランキングでは2017年の8位から4位へと躍進し、政府は「新たな黄金時代」と誇らしげに伝えています。しかし筆者が現地で感じる日常は、その輝かしい数字とはずいぶん異なる表情を見せています。
「高くなったトルコ」という現実
SNSで各地の遺跡や博物館の入場料が一斉に値上がりしたという投稿を目にしたことがあります。かつてトルコの観光地の入場料は、特に外国人観光客の目には安価に映るものでしたが、近年は大幅な値上がりが続いています。Bigpara紙の報道によると、2025年のパッケージツアー料金は前年比20〜30%増、トルコ統計局(TÜİK)のデータではホテルや飲食店の物価も年間で大幅に上昇しました。観光コンサルタントのレジェップ・ヤウズ氏はForbes Türkiye誌への寄稿で「トルコはかつての『安くていいサービス』という競争優位を失い、いまや『高くていいサービス』の国になってしまった」と指摘しています。
ブームの恩恵が届かない市民
筆者が初めてトルコを訪れたのは1990年代のことです。当時は何もかもが驚くほど安く、物価の安い旅行先という印象が強く残っています。あれから30年余りが経ち、今では日本と比べても高いと感じる場面が珍しくなくなりました。レストランで請求書を受け取るたびに、あの頃との隔たりを実感します。
物価高のしわ寄せを最も強く受けているのは、外国人観光客ではなくトルコ市民自身です。Bigpara紙によると、トルコ市民の多くが国内の人気リゾートへの旅行を諦め、ビザなしで訪れやすいバルカン諸国やエジプトなど相対的に物価の安い海外目的地を選ぶようになっています。「国内でホテルに泊まるより海外に出た方が安い」という声は、観光業界でも深刻な問題として取り上げられています。Cumhuriyet紙のコラムニスト、ニライ・キュチュク氏は「グローバルなインフレとトルコ国内のコスト上昇が重なり、トルコは『安い旅行先』でなくなった。しかし、かといって高級旅行先として確立されたわけでもなく、どちらでもない宙ぶらりんな位置に立っている」と論じており、この「どちらでもない」という状況こそが、ブームと苦境が同居するトルコ観光の矛盾を言い表しています。
ホテルに来ても街に出ない観光客
観光業の現場でも、数字と体感の乖離に戸惑いを隠せない声が続いています。観光地に住む知人によると、「外国人は来ているが、買い物をあまりしない。みんなオールインクルーシブのホテルから出てこない」というのが地元の土産物屋や食堂の共通した嘆きだそうです。Cumhuriyet紙は元観光大臣の発言を伝えており、「宿泊施設の収益が増えても、地域の飲食店や小売業者には恩恵が届いていない」という構造的な問題を指摘しています。オールインクルーシブシステムが主流となる中、ホテルの外に出て地元経済にお金を落とす観光客が減少しているのです。
観光客数は過去最高でも、その恩恵が地域全体に広がらないという矛盾は、テレビの映像にも映し出されていました。ドイツ在住のトルコ人が「5年前とは比べものにならないほど高くなった。もう気軽に帰省ついでに観光とはいかない」と語り、トルコ市民が「外国人が来ているのは分かるが、私たちはもう地中海のリゾートに行けない。バルカン諸国の方が安上がりだ」と苦笑いしていました。
ブームの陰で苦しむ観光業者
観光業のサイト「Turizm Days」の試算によると、2020年から2025年にかけてドルベースでのホテル運営コストは約100%上昇しており、食材費に至っては600〜1,200%の値上がりを記録した品目もあるとされています。Alanya Körfez紙は「2025年のシーズンは、客室の稼働率が高かったにもかかわらず、そのことが収益に十分に反映されなかった。多くのホテルが増大する費用を抱えたまま売却に踏み切った」と報じており、ブームの陰で観光業者もまた追い詰められている実態が浮かび上がっています。Hürriyet紙が伝えた観光業界関係者のコメントでも「物価高、固定為替相場、エネルギーコストの上昇が三重苦になっている」という声が相次ぎました。
矛盾が生んだ光景 ― 食料品を買いにギリシャへ
こうした物価高を象徴するニュースも目に入りました。Karar紙などが伝えたところによると、高騰するトルコの食料品価格に耐えかねた市民が、ギリシャのテッサロニキなど近郊の街への日帰り買い出しツアーに参加するという現象が広がっています。30〜50ユーロほどの参加費にもかかわらず人気を集めており、参加者はLidlやJumboなどのスーパーで空のスーツケースを満杯にして帰国します。TÜİKの調査では、2025年の最初の9か月間にギリシャへ渡航したトルコ市民の6%が「買い物目的」と回答しており、これは2012年以来最高の割合です。
筆者がテレビで見た映像も印象的でした。バイラム(宗教的な祭日)の連休にギリシャへ渡航しようとするトルコ人が国境のパスポートチェックで長い行列をなしており、インタビューに答えた観光客が「ギリシャのレストランの方が安い」と話していました。外国人観光客が数千万人規模で訪れる観光大国でありながら、自国の市民が食料品を求め、あるいは食事のために隣国へ渡る。この光景こそが、観光ブームと物価高という矛盾が生み出した現実です。
Cumhuriyet紙のデータでは、2025年第1四半期にアンタルヤへの訪問者数が前年比30%落ち込んだとされています。3月のイマムオール氏逮捕が引き起こした政治的混乱、中東の地政学リスクによる欧州からの予約減少、そして「高コスト国」イメージの定着。複数の逆風が重なったこの時期の数字は、観光ブームの足元にある脆さを浮かび上がらせています。数字だけを見れば輝かしいトルコの観光ブームも、政治や経済の揺らぎひとつで一気に崩れうる。その恩恵が誰に、どのような形で届いているのかという問いかけこそが、トルコ観光業が向き合わなければならない最も根本的な課題と言えるでしょう。
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トルコ在住。トルコの大学および国営機関での勤務経験を持つ。翻訳・通訳や机上調査(リサーチ)にも従事しながら、 現地メディアの情報や生活者目線をもとにトルコの政治・社会情勢を伝えている。
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