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【ライフスタイル】"ボヘミアンラプソディ"で人気再燃のQUEENを生んだ当時の英国は

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© 2019 オサダマナブ

2018年11月に公開され、日本で爆発的にヒットしたイギリスのロックバンド、QUEENのバイオグラフィ ー映画「ボヘミアンラプソディ」。
海外においても同様で、2019年ゴールデングローブ賞ドラマ 部門作品賞と主演男優賞を受賞、アカデミー賞5部門でノミネートされ、主演男優賞など最多4冠に輝 いた。
その興行成績は100億円を超えた。
1973年にメジャーデビューを果たしたQUEENが活躍 した頃のイギリスは、「英国病」と呼ばれる長期的な経済停滞、移民問題、宗教紛争などの深刻な問 題を抱えていた。
そして、リードボーカルのフレディー・マーキュリーがエイズで亡くなった91 年は、奇しくも日本でバブル経済が崩壊し、その後の失われた10年は、「英国病」に苦しんだ当時の イギリス経済と酷似していると指摘する専門家もいる。
なぜ今、ボヘミアンラプソディは大ヒッ トしたのか。
当時の英国はどのような問題を抱えていたのかを調べてみた。

病にむしばまれたイギリス社会

「英国病」を百科事典で調べてみると、「第2次世界大戦後のイギリスに見られた停滞現象。具体 的には工業生産や輸出力の減退、慢性的なインフレと国際収支の悪化。それに伴うポンド貨の下 落といった経済の停滞と、これに対処し得ないイギリス社会特有の硬直性を総称していう」(ブリタ ニカ国際大百科辞典)と書かれている。

当時のイギリスは第2次世界大戦末期に誕生した労働党政権が「ゆりかごから墓場まで」という高度な 社会福祉路線を推し進めていた。
社会保障負担は増加の一途をたどる一方で、「資本主義の歪み を是正する」という名目のもと、国民経済の根幹をなす重要産業を国有化する方針が打ち出され、イ ングランド銀行の国有化を皮切りに、石炭、通信、航空、電気、鉄道、ガス、鉄鋼産業などの大企業 が次々と国有化されていった。
競争原理が働かない産業の行く末は、国際競争力の喪失と貿易収 支の大幅赤字だった。
1960年代の西ドイツ(当時)の経済成長率は年率9%。
同時期のイギリ スは2.6%。
3倍の格差がついてしまったという。

外貨獲得で女王が勲章を授与

結局、イギリス政府はポンドの大幅切り下げに踏切らざるを得なくなった。
ブレトン・ウッズ体 制において4.03ドルだった1ポンドは、その後2回の切り下げを経て、1967年には2.4ドルになった。
1965年、リバプールの労働者階級出身のロックグループであるビートルズが、エリザベス女王か ら勲章を授与された。
その最大の理由は、彼らがポンド流出を防ぎ、外貨獲得に貢献したからだ 。

1973年にオイルショックが起こると、その影響で大幅なインフレが起きる。
74、75年の消費者物 価上昇率は10%超だった。
また、実質経済成長率は2年連続でマイナスを記録、イギリス経済は深 刻なスタグフレーションに陥った。
ところが、イギリス政府は有効な経済対策を打ち出せなかっ たために、ポンドの価値はさらに下落し、76年11月には1ポンド=1.6ドルを下回る。
つまり、約 30年で約1/3にポンドの価値は落ちたことになる。
1970年代後半になると、イギリスの一人当たり の国民所得は先進国の最下位となってしまった。

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失業保険よりも奨学金。UKロッカーが高学歴な理由

この頃に登場したのが、QUEENだった。
ブライアン・メイとロジャー・テイラーの二人がいたスマ イルというバンドが母体となり、そこにフレディー・マーキュリーが加わり、1970年からQUEENと名乗 って活動するようになる。
1973年にファーストアルバム「戦慄の王女」をリリースするが、この アルバムはメディアから酷評され、まったく売れなかった。

QUEENの大きな特徴のひとつにメンバー全員が高学歴ということがある。
ギターのブライアン・メ イは名門ロンドン大学出身で天体物理学博士。
ベースのジョン・ディーコンもロンドン大学の電 子工学科を首席で卒業するほどの秀才。
ドラムのロジャー・テイラーもロンドンの歯科大学で学 び、ボーカルのフレディー・マーキュリーはロンドンの美大でデザインを学んでいる。

イギリスの教育システムは日本とは異なり、大学などの高等教育を受けられるのはほんの一握り。
1967年の時点で大学に進学した若者はわずか6.3%というデータもあるぐらいだ。
つまり、大 学は選ばれたエリートだけが進める場所ということになる。

1985年7月、映画「ボヘミアンラプソディ」のクライマックスとして描かれた「ライブエイド」が開催 された。
QUEENの人気もこのころが絶頂期だったのではないだろうか。
映画ではその「完コピ 」ぶりが大きな話題を呼んだが、当時のイギリスは長引く景気停滞の影響で失業者が街にあふれてい た。
1982年〜1987年まで失業率は10%台という高い水準で推移している。
社会人経験のない 若者の失業率は、さらに高かったはずだ。
QUEENの少し後にデビューしたUB40というレゲエ・ポッ プバンドがある。
そのバンド名は、イギリスの失業者給付金の申請用書類 "Unemployment Benefit Form 40"の頭文字からつけられており、デビューアルバムの「ジャケ写」はこの書類を模し たものだった。

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高等教育とは無縁のような労働者階級の"不良"少年たちから生まれる「ロック」で、なぜQUEENのよ うなバンドが誕生したのかといえば、イギリスの充実した奨学金制度が背景にあることが見逃せない 。
イギリスでは、一定の資格を持つすべての学生に対して、教育当局は返済する義務のない奨学 金を支給することになっている。
この制度に基づき、大学に進学した生徒には、学費と生活維持 のための奨学金が給付された。
それは失業手当の給付金よりもはるかに高額だった。
学生と いう社会的身分が保障され、働かなくても生活費が支給される。
音楽に取り組む時間が十分に確 保される大学生バンドからQUEENが誕生したのは、ある意味必然だったのかもしれない。

「鉄の女」の剛腕が傾いたイギリスを救う

1975年10月、4枚目のアルバム「オペラ座の夜」から、先行でシングルカットした「ボヘミアンラプソ ディ」が、全英チャートで9週連続1位を記録し、QUEENが押しも押されもしない人気バンドへと成長 していったころ、大幅な貿易赤字と財政赤字に苦しみ、危機的状況にまで低迷していたイギリス経済 の再生に取り組んだのが、「鉄の女」と呼ばれたマーガレット・サッチャー首相だ。
1979年から 1990年までの11年間、首相を務め、新自由主義的な経済政策を推進、不採算の国営企業の民営化や規 制緩和、大幅な所得減税などを強力に推進して、景気回復に取り組んだ。

おそらくサッチャー首相の「構造改革」の中で、最も成功したものは、1987年に行った金融の規制撤 廃ではないだろうか。
「ビッグバン」と呼ばれた、その規制緩和は、海外から資本を呼び込む形 でシティ(ロンドン金融街)を救い、アメリカのウォール街と匹敵する国際的な金融センターへと成 長させた。
その結果、イギリスの産業構造に大きな変化が生じた。
1980年以降、製造業から 金融を始めとするサービス業へとイギリス経済を中心はシフトしていった。

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構造改革の結末とサッチャーの評価

サッチャー首相はスコットランドを皮切りに1989年4月から導入した人頭税導入に対する国民の暴動や EU統合に対する懐疑的姿勢が党内から反発を招き、政権を維持できなくなり結局、1990年11月に首相 の座から退くことになった。
QUEENのフレディ・マーキュリーがエイズでこの世を去る約1年前の ことだった。
それにしても、サッチャー首相ほど、評価が大きく分かれた政治家はいないだろう 。
政治的妥協を受け入れない姿勢を貫き、イギリス経済の景気回復の道筋をつけたことや、迷う ことなくアルゼンチンに武力行使して、フォークランド諸島を奪還し、「国を救った偉大な指導者」 と高い評価を受ける一方で、労働組合に戦いを挑み、国営企業の民営化を強力に推進したことで、高 失業率を記録し、同時に大幅な減税措置の実施で、貧富の差が拡大、イギリスの格差社会を助長した と糾弾する声もある。

サッチャーの構造改革の本当の成果が現れ始めたのは、退任後の1990年代に入ってからだった。
イギリス国民の実質所得水準は1990年から2006年までの16年間で1.46倍に増えた一方で、日本はその 期間、イギリスの半分以下となる21%しか増えていないと、イギリスと日本の成長率の「格差」を指 摘する専門家もいる。

結局、日本はバブル経済が弾け、「失われた10年」と呼ばれる景気後退に苦しみ、2000年代に入ると 、イギリスに抜かされてしまった。
日本でも2001年4月に成立した小泉政権が、「小さな政府」「 規制緩和」、「経済の自由化」といったサッチャー政権同様の「構造改革」を遂行したが、日英逆転 の状況は今も変わっていない。
IMFが発表した2017年の一人当たりの名目GDPによると、イギリス は39,800ドルで世界24位。
日本は38,449ドルの25位でイギリスの後塵を拝している。

評価は分かれるにせよ、その後の好調なイギリス経済は、やはり、サッチャー首相の構造改革がきっ かけになっていることは間違いない。
サッチャー首相は2013年4月8日、脳卒中が原因で87年の人 生の幕を閉じた。

ボヘミアンラプソディヒットの背景

QUEENの最盛期、1980年前後にティーン・エイジャーだった世代は、今、40代半ばから50代後半に差し 掛かった。
彼らは第2次ベビーブームの少し上の世代ということになる。
その世代の子どもた ちが、ちょうどティーン・エイジャーとなっている。
公開当初、劇場観覧者は40代、50代の男性 が中心だった。
ところが、次第に女性や子どもたちの世代にまで広がっていき、空前の大ヒット となった。
両親が夢中になったバンドに、今、子どもたち世代が夢中になっている。
「新」 「旧」を意識したマーケティングの勝利ということも言えそうだが、果たして理由はそれだけだろう か。

政府は1月29日に発表した月例経済報告で、景気判断を「緩やかに回復している」と据え置いた。
2012年12月から始まったとされる景気回復期間について「戦後最長となった可能性がある」と指 摘している。
しかし、過去の景気回復期と比較すると、GDP成長率などが低いこともあり、国民の 多くは、いまだに生活が豊かになる実感を得られていない。
しかも、日本は人口減少局面に突入 した。
労働力不足を解消し、社会保障制度を維持するためにも、外国からの移民受け入れをどう するのかが、今後の大きな課題となっている。

70年代のイギリスも同様な問題を抱えていた。
人口が増えず、多くの移民が流入し、失業率の上 昇と相まって、大きな社会問題となっていた。
当時のイギリスと今の日本、社会を包み込む閉塞 感が、QUEENのようなバンドの登場を求めていたのかもしれない。


PickUp編集部

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