こんにちは、戸田です。
香港シリーズ、第3回目は「香港ドルのペッグが崩れる可能性」でお届けします。巷では国家安全法の制定を受けて、香港ドルのペッグ制度が崩れることに賭けるファンドの出現が報じられるなど、にわかに香港ドルに対する関心が高まっております。
ペッグが崩れると言うことは、相場が大きく動く可能性が高く、そこに大きなリスクとチャンスが並存することになります。本報告を通じて、香港ドルの通貨売買、香港に関わる投資やビジネスの参考にして頂ければ幸いです。
なお本報告では、
・既存の米ドルペッグそのままに固定レンジ(1USD=7.75-7.85)の修正が行われる可能性
・ペッグ通貨である米ドルが人民元など他通貨に変更になる可能性
についてそれぞれ言及します。それでは早速ですが、見ていきましょう。
目次
1.固定レンジ(1USD=7.75-7.85)の修正が行われる可能性
2.手堅いカレンシーボード制
3.米ドルペッグは外れる?
4.終わりに
1.固定レンジ(1USD=7.75-7.85)の修正が行われる可能性
まず、香港ドルが崩れる場合、1USD=7.75HKDよりもドル安・香港ドル高が進行する自国通貨高方向へのレンジ修正か、もしくは1USD=7.85HKDよりもドル高・香港ドル安が進行する自国通貨安方向へのレンジ修正の、二方向が存在します。
過去にペッグが崩れた例を用いて説明すると、2015年のスイスフランショックは、スイスフラン高、つまり自国通貨高方向に崩れた一方で、1997年のアジア通貨危機では、タイバーツ安、つまり自国通貨安方向に崩れました。
この時、スイスもタイも、為替レートを一定の水準に限定していたため、自国経済の強さが為替レートに正しく反映されていない状況にありました。
もう少し深掘りすると、スイスの場合は、十分な外貨準備が継続して溜まっていく傾向にあったので、自国経済の力強さが、為替レートに反映されていない(ペッグ制度のため不当に自国通貨安)状況でした。一方でタイの場合は為替レートの下落を食い止める資源である外貨準備が不足するなど、自国経済の脆さが、為替レートに反映されていない(ペッグ制度のため不当に自国通貨高)状況でした。
つまり、これら不当な通貨安・通貨高が是正される時に為替レートの切り上げ・切り下げ(固定レンジの修正)が行われることになります。
そこで、香港ドルはどちら側に崩れる可能性がありそうか?というと現在は自国通貨高サイドに崩れやすい状況にあることが直近の為替レートの推移から見てとれます。
つまり巷でささやかれているような、香港・国家安全法制定→パニック的な香港ドル売りとは反対に、むしろ香港ドルは買われていると言うのが現在の香港ドルの状況であり、仮に崩れる場合は香港ドル高サイド(スイスと同じ自国通貨高サイド)に崩れそうであると言うことを足元の状況としてご理解頂ければと思います。
2.手堅いカレンシーボード制
ご存知の方も多いかも知れませんが、香港はカレンシーボード制を用いて、通貨量のコントロールを行っています。
具体的には香港ドルのマネタリーベース(中央銀行が直接に流通させている資金)は全て裏付け資産が必要で、現在はドル資産によってその100%以上が担保されています(※2020年4月末の担保/マネタリーベースの比率は111.99%)。つまりドルで裏付けされている範囲でしか市中に香港ドルが流通しない(香港ドルの流通量が少ない)ため、投資家が香港ドルを売り崩そうと思っても、売れば売るほどに香港ドルの流動性が少なくなり、そしてすぐに干上がり、金利が急騰してしまう訳です。
ここだけ切り取ると「香港の通貨管理制度、強力すぎるのでは?」と言う疑問が湧くと思うのですが、その犠牲として香港は積極的な金融緩和・量的緩和による景気刺激が出来ない訳です。対価を得るための犠牲はきちんと払って、手堅い運営をしている、それが香港の管理制度で、この考え方は香港シリーズの第二回で深く言及しておりますので、ご興味ある方はご確認してください。
3.米ドルペッグは外れる?
さて、現在は米ドルペッグを続けている香港ドルですが、香港基本法によれば、どの資産を裏付けとして使用することも可能です。実際に香港はドルペッグ以前には英ポンドにペッグされていたことや銀に紐づけて管理されていた時代があります。ですから今後、例えば香港ドルの為替レートを日本円にペッグさせる、人民元にペッグさせると言うことも法制度上は可能で選択肢に入ってくる訳です。
ところが現在、人民元は資本の自由移動に制限がありますから、現行の制度を活かす形で運用する場合には、香港側の選択肢に入らないはずです。では日本円を裏付け資産に使うかと言うと、それもまた基軸通貨である米ドルの方が良いとなるわけです。ですから現在のところ香港側が裏付け資産を米ドルから他の何かに変えるインセンティブはないと推測します。
となると、現行の米ドルペッグが崩れる唯一想定される事態は、米国が米ドルと香港ドルとの自由な交換を認める香港政策法を改正して、香港ドルと米ドルの交換に制限を加える場合です。これは米中対立において米国側の最終手段として発動される可能性があると思います。ただその際には当然人民元についても同様の制限を加えることが想定されるため、人民元と香港ドルにセットで交換制限を加えることになると推測します。
この場合に、香港ドルは裏付けとなる資産を米ドル以外から探さなくてはなりません。日本円を裏付け資産にするという可能性もありますが、そこは日本の政府がどう対応するか?次の選択肢としては英ポンドに戻すという可能性もあるでしょう。もしくはこのような事態になれば、いよいよ中国が人民元の資本移動制限を外すかも知れません。そうなれば裏付け資産は当然人民元が最有力候補です。
4.終わりに
最後に簡単にまとめます。
・巷で囁かれているような、香港国家安全法制定→パニック的な香港ドル暴落は見られない
・為替レートの切り上げ・切り下げ(固定レンジ修正)があるとすれば、スイスフランショックと同様、香港ドル高方向への切り上げが現実的
・米ドルペッグが外れるときは、米国が香港政策法を改正し、米ドルとの交換に制限を加えるとき(米国の動きに要注目)
・その際、香港ドルは米ドル以外の裏付け資産が必要であり、それは日本円・人民元・英ポンドなど選ばれる可能性がある。
本日は米ドルペッグが崩れる可能性というスケールの大きなテーマについて言及しました。
以前に中国が日本に新しい通貨圏を作ろうと提案したという報がありましたが、本報告の要因も複雑に絡み合った背景であると推測します。やはり為替と政治、これは切っても切り離せない関係です。
そこで筆者からは国際政治・経済から相場を読み解く、こう言った情報発信ができればと考えております。引き続き皆様のお役に立てる情報を配信できるよう努めてまいります。
なお本報告では香港ドルの現行の通貨制度に関するご説明をかなり省いております。それについては前回・前々回で触れておりますので、以下をご参考ください。
それでは、また来週お会いしましょう。
戸田裕大
<参考文献・ご留意事項>
HK Monetary Authority: How does the LERS work?
https://www.hkma.gov.hk/eng/key-functions/money/linked-exchange-rate-system/how-does-the-lers-work/
Exchange Fund Abridged Balance Sheet, as at 30 April 2020
https://www.hkma.gov.hk/media/eng/doc/key-information/press-release/2020/20200529e3a1.pdf#page=2
The Basic Law, Chapter V Economy, Article 111
https://www.basiclaw.gov.hk
22 USC Ch. 66: UNITED STATES-HONG KONG POLICY, 5713. Commerce between United States and Hong Kong
https://uscode.house.gov
代表を務めるトレジャリー・パートナーズでは専門家の知見と、テクノロジーを活用して金融マーケットの見通しを提供。その相場観を頼る企業や投資家も多い。 三井住友銀行では10年間外国為替業務を担当する中で、ボードディーラーとして数十億ドル/日の取引を執行すると共に、日本と中国にて計750社の為替リスク管理に対する支援を実施。著書に『米中金融戦争─香港情勢と通貨覇権争いの行方』(扶桑社/ 2020 年)『ウクライナ侵攻後の世界経済─インフレと金融マーケットの行方』(扶桑社/ 2022年)。