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【海外特派員】トルコ選挙特集~ 第1章 エルドアン政権の歩みと変化

PickUp編集部では、総選挙を控えたトルコ共和国の情報を、より身近な個人投資家の目線で伝えるために、現地在住の方々から、生の情報を伝えていただく"特派員リポート"の配信を行っています。

トルコ共和国は1923年10月29日に建国され、今年建国100周年を迎えます。5月14日(日)には大統領選挙と国政選挙が同時に実施されます。この20年間トルコで政権を掌握し、国際社会でのプレゼンスを高めてきたレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領が再選されるかどうか、全世界が注目しています。
そこで、トルコ在住の筆者が、「エルドアン政権の歩みと変化」、「トルコの凄まじいインフレと国民の反応」、「大統領選の行方」について、3回にわけて記事を配信します。

エルドアン政権誕生前

1999年8月17日未明、イスタンブール近郊のサカリヤ県ギョルジュクを震源とするマグニチュード7.6の地震が発生し、死者18,000人以上、被災者数は約1,600万人に及びました。なかでも、日欧米の自動車メーカーの工場や石油精製施設が集中し、トルコの工業地帯の中核である北西部で甚大な被害が生じ、ただでさえ高インフレにより落ち込んでいた経済は益々疲弊しました。

2000年の年末から2001年初頭にかけて金融危機が発生してトルコリラが暴落し、銀行の破綻や吸収合併が相次ぎました。民主左派党の党首であるビュレント・エジェビト首相は、国際通貨基金 (IMF) の支援を受け、世界銀行の副総裁だったケマル・デルヴィーシュを財政経済担当相に招いて経済の立て直しを図りました。

エルドアン政権の誕生

 デルヴィーシュ財政経済担当相による思い切った経済改革にもかかわらず、その効果がなかなか表面化しないまま、2002年11月に国政選挙が実施され、レジェップ・タイイップ・エルドアンが率いる公正発展党 (AKP) が圧倒的勝利を収めて国民に熱狂的に迎えられました。

エルドアンは1994年から1998年までイスタンブール市長を務めましたが、1997年に政治集会で行った演説でイスラムの詩を朗読したことが人々の憎悪を駆り立てたという理由で、1999年に有罪判決を受けて4か月間投獄され、2003年まで政治活動を禁止されました。

2001年6月、親イスラム主義政党の流れを組みながらも、イスラム色を弱めた中道右派としてAKPを旗揚げして党首となりましたが、2002年の総選挙後はアブドゥラー・ギュルを首相に任命しました。2003年3月に被選挙権を回復すると補欠選挙で国会議員に当選し、ギュルに代わって首相に就任しました。

当時エルドアンは、ギュルをはじめとするAKP結成の同士である政権幹部と議論を重ねながら政権を運営しており、経済を立て直してインフレも落ち着き、イスタンブールの低所得層が住むカスムパシャ出身であることを武器に庶民派をアピールしながら、2007年7月と2011年6月に実施された国政選挙でもAKPは政権を維持しました。

ところが、2013年5月、イスタンブールの繁華街、タクシムにあるゲジィ公園の再開発に反対する人々を警察が強制排除したことがきっかけで反政府デモが全国各地で勃発し、エルドアン首相に批判的な記事を書くメディアやジャーナリストへの制裁や、政教分離が国是のトルコで大学でのスカーフ着用解禁などイスラム教の価値観を滲ませる政治に対する抗議行動が1か月程続きました。

結局ゲジィ公園の再開発は撤回されたものの、対話で解決することを望んでいた政権幹部との溝が深まり、この頃からエルドアン首相による強権政治が目立つようになりました。2013年12月、エルドアン首相の周辺で摘発された大規模な汚職事件は政権によってことごとく抹殺されました。

議院内閣制から大統領制への移行

 2014年8月、それまで大統領は議員の投票によって選出されていましたが、国民投票の結果を踏まえて、国民による直接選挙で大統領選が行われ、エルドアンが当選しました。ただし、議院内閣制の下では大統領の権限は制限されるため、エルドアン大統領は憲法を改正して大統領制を目指すようになりました。この頃、公務員のスカーフ着用の解禁、夜間のアルコール類販売の禁止など、次第にイスラムの価値観に基づいた政治が目立つようになりました。また、自らの権力を誇示するように、アジア側のチャムルジャの丘にトルコ最大のモスクとなるチャムルジャモスク、ヨーロッパ側の中心部タクシムにはタクシムモスクの建設を着工しました。
2015年6月に実施された総選挙でAKPは過半数の議席を獲得できず、他党との連立も不調に終わったものの、11月に行われた再選挙では過半数の議席を確保しました。

エルドアンが建設したタクシムモスク

トルコの議会(大国民議会)は一院制で定数は600、任期は4年(2007年までは5年)、完全比例代表制で、10%の阻止条項があり、得票率が10%に満たない政党には議席は全く配分されません。(今年になって7%に改められました)。

しかも、エルドアンが率いるAKPには4選禁止条項があり、議員の任期は3期、最高12年までとされています。従って、2015年以降に実施された総選挙の当選者にはエルドアンと共にAKPの旗揚げに加わった同士は誰も含まれず、比例代表者の名簿はエルドアン大統領の意向を組んで働く党員で固められていると言われています。

2016年7月15日、トルコ国軍の一部がクーデターを企てましたが失敗に終わり、クーデターに加わったとされる軍関係者、公務員をはじめ2万以上が処罰を受け、公職追放されました。この頃からエルドアン大統領はTwitter、YouTubeなどのソーシャルメディアを度々遮断して、政府に対する批判を封じ込めるようになりました。

翌年2017年4月、国民投票により議院内閣制から大統領制に移行することが決定しました。それに伴って大統領の権限は大幅に強化されましたが、権限の抑制機能が不十分だと指摘されています。

2018年6月には当初2019年11月に予定されていた大統領制移行後初の大統領選挙と議会選挙が前倒しで実施されました。エルドアンは大統領に選出されたものの、AKPは過半数の議席を獲得することができず、民族主義者行動党 (MHP) が議会内で協力することになりました。大統領に権限が集中しすぎた結果、高インフレ下で大統領の意向である政策金利の値下げに難色を示した中央銀行総裁を4人解任するなど弊害が出ています。

大地震と大統領選挙、国政選挙

今年の2月6日、東南部のカフラマンマラシュとガジアンテップを震源とするマグニチュード7.8の大地震が相次いで発生しました。死者5万人以上、被災者は1,300万人以上に達し、トルコ共和国建国後最大の災害に見舞われました。

大地震で崩壊したかつてのアンタクヤ

エルドアン政権は、初期の対応の遅れ、耐震基準を守らない建築業者に対して賄賂と引き換えに恩赦を与えたり(耐震基準を守らない建物を見逃す)、過去20年で最大のインフレ率を更新するなど経済政策の失敗を追求されて批判が高まっています。

今回の大統領選挙では4人が立候補しましたが、事実上はAKPとMHPの与党連合(「人民同盟」)が選出したエルドアン大統領、および建国の父であるケマル・アタテュルクが設立したCHPと、MHPから分裂して結成された善良党 (IYI Parti) を中心とする野党7党の連合(「国民同盟」)が選出したCHP党首ケマル・クルチダルオールとの間で争われます。

今回の選挙では、与党の人民同盟は、大震災からの復興、インフレの抑制、シリア難民の自国への早期帰還などを公約に掲げています。一方、野党の国民同盟は、権限が集中しすぎた大統領制を廃止して議院内閣制を復活させること、シリア難民の自国への帰還、インフレの抑制などを主な公約に挙げています。

大統領選挙と議員選挙の投票は5月14日に実施され、即日開票で15日朝までには大勢が判明する見込みです。14日の大統領選で過半数に達する候補者がいない場合は、28日に決選投票が行われます。


PickUp編集部 トルコ特派員