“どっちもどっちか?”

酒匂隆雄外為マーケットレポート


塾長は夏から秋に掛けてドル・円が下がるであろうと思っているのだが、その根拠は
-新型コロナ・ウィルスに関しての楽観(最悪期は脱してこれからは経済が上向きに回復する。)と悲観(世界中で新たな感染者数が増えており、未だ予断は許さない。)が入り乱れて、楽観論が台頭すればリスク・オンとなって株価は上昇し、安全通貨のドルと円が売られる傾向にあり、その時に金利も上昇していればドルの上昇余地が大きくなってドル・円は上がるが、金利が下落していればドル・円の上昇余地は限られている。
逆に悲観論が台頭すればリスク・オフとなって株価は下落し、安全通貨のドルと円が買われる傾向にあり、その時に金利も下落していればドルの下落余地が大きくなってドル・円は下がるが、金利が上昇していればドル・円の下落余地は限られている。
筆者はその悲観論に組みしており、FRB.の金融緩和姿勢から鑑みてドル金利の上昇の可能性は低く、後者のリスク・オフのシナリオとなってドル・円は下がる。

-ここの所小康状態を保っている米中関係であるが、何時米中デカップリング(断絶)が起きても不思議ではない状態が続いている。劣勢が伝えられる大統領選を控えてトランプ大統領が手綱を緩めることは有り得ない。
大きなリスク・オフ要因として意識し続ける必要が有る。

-現在、ドル・円の1ヶ月のオプション・ボラティリティーが最低水準の5%台で安定しているが、何れその内変化が起きる(オプション・ボラティリティーが上昇する。)ことは必定でその時はドル・円相場は下がる可能性が高いと見る。

-来る大統領選で現職のトランプ大統領再選が危ぶまれており、バイデン大統領が誕生したら株価とドルが下がると見ているのだが、どうもバイデン候補の評判が宜しくない。

昔からSleepy Joe.=(詰まらないジョー)と揶揄されてカリスマ性に欠けるものの、オバマ大統領時代の副大統領として地味に職務を遂行したとされるが、如何せん77歳のお年寄りであり物忘れ、勘違いが酷いらしい。
コロナ騒動の折、トランプ大統領が色々な場所でトランプ節を吹聴する中Sleepy Joe.は殆ど家に籠って演説やインタビューを受けなかったが、此処にきて表に出て話す機会が増えて来ている。

その中での言い間違いや勘違いをご披露すると、
-バージニア州での遊説で、“今日はノース・カロライナ州に来られて嬉しい。”とコメントし、スーパー・チューズデー=(偉大な火曜日。アメリカ大統領選挙の予備選挙・党員集会が集中する3月第2火曜日を指す。一日で大量の代議員を獲得することができる日であるため、立候補者は自党の大統領候補としての指名を確保するためにはこの日を上手く乗り切らなければならない。)をスーパー・サーズデー(偉大な木曜日)と言い間違えた。

-新型コロナ・ウィルスの全米死者数12万人(One Hundred and Twenty Thousand)を1億2千万人(One Hundred and Twenty Million)と言い間違えた。

-インタビューの中で、中国と北朝鮮を言い間違えたり、イランとイラク、メルケル首相とサッチャー首相、習近平と鄧小平を混同した発言をした。

-黒人の若者に人気のラジオ番組に出演した際、米大統領選に関連し、“もしあなたが私を支持するか、トランプ氏を支持するか迷っているのであれば、あなたは黒人ではない。”と極めて不適切な差別発言をした。

-記者の“貴方は認知の衰えについてテストを受けたことがあるか?”との医学的なテスト受診の有無についての質問に対してバイデン氏は“いつもテストされている。”と答えて、自分は日常の活動で試されている、という意味の返事をした。
明らかに質問の主旨を理解していなかった。

驚いたことに、民間会社の調査によるとアメリカの有権者の約38%が“バイデン候補は認知症である。”と思っているらしい。

やんちゃ坊主のトランプ大統領に対して認知症のバイデン候補。
何だかどっちもどっちだという気がしてきたが、これは4年前のクリントン民主党候補とトランプ共和党候補の時の一騎打ちを思い出す。

選挙直前にアメリカに居たのだが、その頃アメリカ人達が言っていたのが“どっちもどっちだが、消去法でクリントンだな。”であった。
そして選挙直前までクリントン候補が優勢と伝えられていた。

トランプ再選無ければ株安&ドル安と思っていたが、認知症大統領誕生なら世の中益々混沌となって更に株安&ドル安にならないか?

今頃、敵失を見て一人ほくそ笑んでいるのはトランプ大統領であろうか?

sakou.jpg酒匂隆雄
酒匂・エフエックス・アドバイザリー代表 1970年に北海道大学を卒業後、国内外の主要銀行で敏腕ディーラーとして外国為替業務に従事。その後1992年、スイス・ユニオン銀行東京支店にファースト・バイス・プレジデントとして入行。さらに1998年には、スイス銀行との合併に伴いUBS銀行となった同行の外国為替部長、東京支店長に就任。 その一方で2000年には日経アナリストランキング・為替部門にて第1位を受賞するなど、コメンテーターとしても高い評価を得ている。

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