目立たない男 「居眠りジョー」の天下取り戦略
トランプ大統領は、ライバルにあだ名をつける名人である。ヒラリー・クリントン氏は”Crooked Hillary”(ひねくれヒラリー)、バーニー・サンダース氏は”Crazy Bernie”(イカれたバーニー)、マイケル・ブルームバーグ氏は”Mini-Mike”(ちっこいマイク)、いやはや、天性のいじめっ子と言えようか。金正恩委員長のことを”Little Rocket man”(リトル・ロケットマン)と呼んだときは、すかさず頭上にミサイルが飛んでくるかと思ったものだ。
今回の大統領選挙の挑戦者、ジョー・バイデン元副大統領のことは”Sleepy Joe“(居眠りジョー)と呼んでいる。御年77歳。上院議員を36年も続け、その後でオバマ政権の副大統領を2期8年。良くも悪くも政界の大ベテランである。
1990年代頃の映像を見ていると、外交委員会や司法委員会で活躍したバイデン上院議員はかなり早口だった。それが今では、ゆっくり話すようになっている。Sleepyとはうまく言ったもので、要は「もうボケた」と皆に思わせたいのであろう。何しろ77歳と言えば、アメリカ人の平均寿命に近い。
現在、あらゆる調査で現職トランプ大統領に対して優勢とみられているバイデン候補は、選挙戦術は極めて地味である。Covid-19が猛威を振るった時期は、3カ月間も自宅にこもって地下室から動画メッセージを送る日々が続いた。5月末のメモリアルデーから人前に姿を現すようになったが、大規模な集会は避け、出る際にはかならずマスクをしている。どこへ行ってもド派手なトランプ大統領とは好対照だ。
実際にグーグルによれば、4年前の”Crooked Hillary”に比べて、今年の”Sleepy Joe”の検索件数は圧倒的に少ない。まるで埋没しているようにもみえるのだが、麻生太郎さん並みに失言の多いご当人は、「今は目立たない方がいい」と割り切っている様子である。
そもそも2020年選挙は、現職に新人が挑む戦いだ。こういうときは現職に対する信任投票になる。そして今のアメリカはまさしく「コロナ敗戦」。死者数は既に13万人に迫り、失業率はやや改善したとはいえ2ケタ台である(11.1%、6月)。そしてジョージ・フロイド氏の死亡に伴う”Black Lives Matter”(黒人のイノチをなめんなよ!)運動は、全米に広がっている。これらの問題は、すべて大統領の責任に帰せられる。大統領に不信任が突きつけられれば、自然と自分にお鉢が回ってくる。
居眠りしてるように見えても、バイデン氏はやるべきことをやっている。党内有力者の支持を取り付け、党内左派とは事を構えず、もともと信認の厚い黒人票をガッチリと押さえている。これまで遅れていた資金集めでも追い上げが急である。選対本部と外部資金を併せた総額は6月末時点で3.16億ドル。トランプ陣営が3.53億ドルなので、指呼の間に捉えたと言っていいだろう。
バイデン氏は既に「政権移行チーム」(Transition Team)を立ち上げている。大統領選挙の投開票日から、翌年1月20日正午の大統領就任式に向けて、政権交代を首尾よく行うためのチームである。
11月3日にバイデン氏が首尾よく大統領に当選できたとして、問題はそれから先だ。トランプ氏が「選挙の集計に疑義がある」などとごねて、敗北を認めないことは十分に考えられる。Covid-19はその時期にも収束していない公算が大であるし、経済も危機的な状態が続いているかもしれない。まさしく大混乱の中での政権交代劇となるだろう。
ちょうど2008年、リーマンショック後の国際金融危機のさなかに、ブッシュ(子)政権からオバマ政権への交代が行われたことがある。当時は副大統領候補だったバイデン氏は、そのときのことをよく覚えている。
そこでチームのヘッドには、テッド・カウフマン氏を任命した。かつて上院議員時代に、長年にわたって首席補佐官を務めた「腹心中の腹心」だ。次期バイデン政権の人事や政策構想は、このチームで練られるはずである。
大統領選挙までは残り4カ月を切った。マーケット関係者としては、そろそろ「11月3日にどんな結果が出るか」だけではなく、「11月3日以降のアメリカはどんな展開になるのか」の思考実験を始めたいところである。
吉崎達彦氏
1960年富山県生まれ。1984年一橋大学卒、日商岩井㈱入社。米ブルッキングス研究所客員研究員、経済同友会代表幹事秘書・調査役などを経て企業エコノミストに。日商岩井とニチメンの合併を機に2004年から現職。
著書に『アメリカの論理』『1985年』(新潮新書)、『オバマは世界を救えるか』(新潮社)、『溜池通信 いかにもこれが経済』など。ウェブサイト『溜池通信』(http://tameike.net )を主宰。テレビ東京『モーニングサテライト』、BS-TBS『Biz Street』などでコメンテーターを務める。フジサンケイグループから第14回正論新風賞受賞。