ドルの信認というテーマを考える
コロナショックを受けて経済・金融情勢をどう見通すかはかつてないほど難しいものと言える。IMFが毎年4月(と10月)恒例の世界経済見通しについて、完全な形での発表を諦めたくらいだ。ただでさえ難しい為替予想は難航を極める。かかる状況下、1つ確実なことが言えるとすれば、「当面は大変な量のドルが世界に存在しそう」という事実かもしれない。今次ショックを受けて世界全体では約8兆ドル規模の対策が講じられるが、その4分の1以上が米国の経済対策(2兆ドル強)に由来する。考えるべき論点は多いが、政府債務とドルの信認という定期的に注目されるテーマをこのタイミングで考察しておくことは非常に重要であると筆者は考えている。
過去6年にわたってドル高が維持されてきたのは、金利が消滅する世の中にあっても米金利だけは相対的に高い水準が維持されてきたからだ。しかし、その米金利も3月の怒涛の利下げによって全て吐き出してしまった。コロナショックを受けた有事モードが続く限りドル需要は相応に残るのかもしれない。しかし、ポストコロナの金融市場では膨張した米政府債務に焦点が集まる可能性があることも留意したい。市場のテーマは急に変わるものであり、今から考えても早過ぎることはない。
現在、米国について報じられる拡張財政の規模とIMF世界経済見通しで示されている予測値などを合わせて試算すると2020~21年の米国の政府債務残高は名目GDP比で130%に迫る勢いだ。これは120%弱まで積み上がっていた第二次世界大戦直後(1945年)を優に超える水準である。ドル相場と政府債務残高の間にはある程度安定した関係が見出せるが、その印象はフローの財政収支との間で見るとさらに強まる。少なくとも2019年から2020年にかけてGDP比で▲3.6%だった赤字が▲15.4%へ4倍以上に膨らんだことに伴ってドル相場がこれから下落しても全く不思議ではない。
ワールドダラーの示唆するドル安
また、危機時の財政・金融政策対応とドルの信認というテーマでは、リーマンショック直後にワールドダラーという概念が耳目を集めた。これはFRBのベースマネーとFRBの管理するカストディ勘定の残高合計である。ここでカストディ勘定とは「FRBが保管・管理する海外投資家が保有する米国有価証券の残高(Custody Holdings, Securities in Custody for Foreign & International Accounts)」である。
あくまでイメージに過ぎないが、このワールドダラーが「米国内外に流通するドルの総量」を測る計数として用いられている。直感的にはワールドダラーとドル相場には負の相関が予想されるところであり、実際にそうだったように見える(図表)。
FRBの無制限量的緩和を背景としてワールドダラーはベースマネーと共に急増しており、前述の米財政赤字の論点も合わせ見れば、3月に見られたような「非常時のドル買い」が再発するケースを除くとして、当面のドル相場が上昇する展開は考えにくいように思える。もちろん、理論的にはベースマネーが増えたからといって、貨幣供給量(マネーストック)が増えるとは限らず、それゆえにドル下落も予想する筋合いにはない。しかし、直情的な為替市場でこうした論点が材料視される展開は十分警戒する価値がある。
※本記事は個人的見解であり、筆者の所属組織とは無関係です。
唐鎌 大輔
2004年慶應義塾大学経済学部卒業後、JETRO入構、貿易投資白書の執筆などを務める。2006年からは日本経済研究センターへ出向し、日本経済の短期予測などを担当。その後、2007年からは欧州委員会経済金融総局(ベルギー)に出向し、年2回公表されるEU経済見通しの作成などに携わった。2008年10月より、みずほコーポレート銀行(現みずほ銀行)。著書に『欧州リスク: 日本化・円化・日銀化』(東洋経済新報社、14年7月)、『ECB 欧州中央銀行: 組織、戦略から銀行監督まで』(東洋経済新報社、17年11月)、『リブラの正体 GAFAは通貨を支配するのか?』(共著、日本経済新聞社出版、19年11月)。連載にロイター、東洋経済オンライン、ダイヤモンドオンライン、Business Insider、現代ビジネス(講談社)など。所属学会:日本EU学会。