11月3日放送分
「あとでアイスクリームを食べるんだよね」という弟の言葉に、母は「そうよ、だから、もう少し頑張って歩きなさい」と笑顔で応える。いつもと同じコースを歩いているのだが、僕ら兄弟にとっては楽しみなコースである。なぜならば、決まって途中の公園でアイスクリームを買ってもらえるからだ。年に数回のハイキングの行き先は決まって東山動物園(名古屋市)。その道すがら移りゆく季節を木々の感じ、頬で四季の風を感じながら、会話も弾む。普段は厳粛な父もピクニックとなると、いつもと違う笑顔を見せる。一つ屋根の下で暮らす家族ではあるが、休日のハイキングの中での笑顔そして会話の中でその絆は強く結ばれていったのであろう。今でもグリコのジャイアントコーンを見るたびの家族でのハイキングを思い出す。10月6日放送分
何 回見ても同じなんだが、ついまた見てしまう。さっきから鏡の中の自分とにらめっこが続いている。いつもと変わらない髪型なんであろうが、その髪型が気に入 らない。今日はそれだけ大事な日なんだ。そう、憧れのあの子と初デートの日。嬉しさの中に極度の緊張感が拡がり、まるで朝から異空間を漂っているようだ。 着ていくセーターの色は彼女の好きなモスグリーン。靴はお気に入りのスエードの靴。時計は学校にしていく時計ではなく、ブランドの時計。「人間中身であ る」という言葉が頭をかすめるが、憧れの人との初デートにはそんな言葉はすぐに消えていく。映画館に行くまでの道すがら、先週出場したテニス大会の話をし よう。きっと微笑んで聞いてくれるに違いない。食事はレストランガイドで調べたイタリアレストラン。「よし!これでバッチリだ」と天下の2枚目を意識しながら駅に向かっていった。しかし、無常にも夕立・・・僕の頭には傘はなかった。
さて、今週のテーマは「男の見栄、女の見栄」がテーマである。それぞれどこにお金をかかるか、どこに見栄を張るのか。まりなちゃんはアクセサリーを意識す るという。事前に何人かの女性にアンケートを取ると「バッグ」という女性が多かった。男はどこで見栄を張るのだろうか。個人的には「時計」と思っている。
時 計は車や靴などと違って代々受け継いでいくことが出来るアイテムだからである。時計を見るとその人の生活が見えるというブランド店の社員もいた。しかし、 女性が男性を見る時にチェックをする一番のアイテムは「靴」であった。圧倒的な意見をいただいた。ということは、世の男性諸君、靴だけでも良い靴をきれい に履くことがモテル第一歩である。
9月29日放送分
思わず目を瞑ってしまった。先輩の正拳が自分のアゴの手前で止まるのが分かっているのにも拘らず、そのスピードと恐怖感とで最後まで目を開けていられなかったのである。空手をはじめて2年。順調に昇級し、3級になった。腰には真新しい茶色の帯が巻かれている。社会人になり限られた時間の中で通った道場。普段、長続きしないことの多い自分が毎週道場に通い、今では茶色帯。遅くはない昇級に多少の慢心はあったのかもしれない。その慢心を打ち砕いた一撃。それが黒帯を腰に巻いた先輩の正拳であった。見えなかった、いや、恐怖で目を瞑ってしまったのだ。一度怯えた動物は目を見えればわかるもの。逃げ道を意識するが故に目に落ち着きがなくなってくる。今、自分の目も怯えた目をしているはずだ。動揺を隠せず呼吸が整わないうちに廻し蹴りに行くと簡単にかわされ、気が付くと先輩の拳が私の横っ腹にあった。「ありがとうございました」と大きな声で先輩に一礼をして、後ろに下がった。額からは玉のような汗が流れて落ちて止まらない。その後、先輩は2,3人の社会人を相手に練習をした後、期末試験の勉強があるからと言って早めに切り上げて帰ってしまった。先輩は中学三年生である。実際の年齢がたとえ年上であっても、はじめた年月、そして帯の色が自分よりも格上であれば、歳の差は関係なく立派な先輩である。
さて、10月よりマネー塾は6年目を迎える。多くの関係者の協力とスポンサーの理解があっての年月である。これからも少なくとも10年を目指して頑張っていきたいと思う。6年目よりすこし雰囲気を変えていこうと考えている。生活に密着したマネー番組であるとともにより楽しさを前面に出していきたい。
今週のテーマは「料理を習う」である。アシスタントのまりなちゃんも実は僕も料理を習っている(もちろん、違うスクールだ)。単純と思っていた料理でもこれだけ手が込んでいたんだ、と驚きと発見がある。そして、40代も後半になってくると教えてくれる先生も年下になってくる。しかし、先生は歳に関係なく先生である。妙に謙虚になる自分がそこにいる。う~ん、習い事をして謙虚さを思い出した方が良い経営者っているんじゃないですか。
8月11日放送分
「来年こそ」と思うことは翌年も同じことを繰り返す。「来年こそ」のイベントの一つが夏休みの宿題である。部活の所為でもない、家族旅行の所為でもない、ただ単に自分が夏休みをキリギリスのように満喫しただけだ。はじめて深夜放送を聴いたのも8月31日である。深夜にラジオから流れてくるトークの面白さに思わず一人で笑ってしまう。家族が寝静まった深夜に自分の笑い声だけが響くのだから不気味かもしれない。ちょっと遅刻した夏のお化けのようだ。なお、中学1年生以来、8月31日は毎年深夜放送のお世話になることになる。
ところが、高校2年生の時に一度だけ、7月中に夏休みの宿題を終わらしたことがある。「来年こそ」を実行したのである。もちろん、余裕を持って8月31日を迎えたのだが、大きなミスを犯してしまっていた。夏休みの後半になると遊んでくれる友人がいなくなるということに気がつかなかったのだ。一人淋しい夏休み後半を過ごしたものだ。もちろん、翌年からは「来年こそ」に戻した。
今週のマネー塾は「夏休みの宿題」がテーマである。貨幣の歴史を自由研究にすると歴史の裏側までも見えてくる。「来年こそ」と考えている人は貨幣の歴史を自由研究のテーマにするのも良いであろう。この放送は夜の8時半からであるが、「来年のこそ」の諸君のために、一度でいいのでオールナイトニッポンで8月31日を一緒に過ごしてみたい。
7月14日放送分
町全体が秘密基地であった。友達の家の庭を通ると近道があり、墓地の塀を乗り越えると駄菓子屋への近道となった。夏になると朝顔の弦がすだれに絡みつき、狭い道路には水が打たれた。
小さい頃育った谷中にはビルが乱立する銀座や新宿とは違った下町の風景、心の街が残っていた。そして祝日になるとあちこちの玄関には日の丸が掲げられていた。しかし、その日の丸も今や見かけることはない。ちなみに我が家にも置いていない。
日の丸といえば、「明日のジョー」を思い出す。世界タイトルマッチを闘うジョーは警察隊が演奏する君が代を日の丸の下、リングの上で聞いている。その光景を見ていた丹下段平は「かつてジョーを捕まえた警察が、今はジョーのために君が代を演奏している」と感慨深げに涙ぐむ。幼心に、日の丸を背負うということは凄いことなのだ、と感じた。
さて、もうじき北京オリンピックが開幕する。日の丸を背負ったアスリート達が自らの限界に挑戦する。日頃、日の丸を掲げない人も日の丸が一番高いところに上がるのを期待し、応援する。
今回の放送は、北京オリンピックの経済効果について、第一生命経済研究所の永濱さんにいろいろ伺った。北京オリンピックはアテネの4500億円より低くなるそうだ。永濱さんの計算によると3600億円前後だそうだ。経済効果のコア部分である現地への応援が低調だからである。餃子をはじめとした食品の問題そして大気汚染等より現地に行く人が少ない。しかも、時差も1時間であることから自宅でもリアルタイムで観ることができる。ただし、アテネの時のように、日本選手が大活躍すると経済効果は増加する。頑張れ、ニッポン!
6月30日放送分
いつの頃からか、サッカーが好きになっていた。小さい頃から多くのスポーツを経験してきた男の一つの結論である。彗星の如く現われた一人の天才が世界に連れて行ってくれるわけでもない。はじめから世界で通用するチームレベルでもない。でも、子どもが成長していくかのような過程を実感できたスポーツ、そして徐々にではあるが世界の扉を開いていったスポーツ、それがサッカーである。しかも、選手だけが闘うのではない。背番号12がサポーターに用意されている。つまり、選手と一緒に闘い、選手と一緒に笑い、選手と一緒に泣くことが出来る、同化と言っても過言ではない。初めてサッカー観戦に行った時の、つま先から伝わってきたサポーターの熱き応援、つま先から熱い血が沸き上がってくる感覚は今思い出しても興奮する。
今回のゲストは沖縄のかりゆしFCのキャプテン、阿部巧也選手である。兄の後をおっかけてボールを蹴り、三浦(カズ)選手に憧れてボールを蹴ったそうだ。サッカーが上手になる秘訣の一つはイメージを持つことだと語ってくれた。したがって、小さい頃から本物のプレーを観るということはサッカー上達には欠かせない。そして、サッカーが強くなるには、サッカーをする子どもたちが増えなくてはならない。
実は、かりゆしFCでは、サッカー教室を行なっている。阿部選手たちが見せるプレー、教えるプレーをはしゃぎながら子どもたちは真似てみる。
そこで子どもたちが見せる瞳の輝きは未来への輝きかもしれない。
6月23日放送分
背中から回した手は振り落とされないようにしっかりと握り締められていた。昼間の賑わいがまるで蜃気楼のように、今ではひっそりと静まりかえった暗闇の中を私をおぶって走る母。
時々現われるお城の中に入れてもらえず、見たことの無い老婆に哀願しているところで目を覚めた。お城の夢を見るときは体調の良くない時だと経験則が教えてくれていた。熱を測ると案の定39度を越す高熱。母は近所の主治医にすぐに電話をし、私をおぶさり夜の静寂の中に飛び出していったのだ。
その時の母の背中は今でも鮮明に覚えている。あの小さな母の体のどこにこんなエネルギーがあるのだろうか。150センチ近い私の体をおぶって1キロ近くを走っていた。母は強い、そして優しい。
何年か前に野口英世記念館を訪れたことがある。そこには館内を回る私の足を立ち止まらせた1通の手紙がある。それは母から息子、野口英世に宛てた手紙である。野口英世は医者になった後、一時期、放蕩な暮らしをしていたのだが、その息子の目を覚まさせたのが母からの手紙だっただ。偉人の影に母あり、母の慈愛というものは言葉では言い尽くせない、広くそして深いものがある。
さて、今回のゲストは「かりゆし58」という沖縄のロックバンドのリーダー、前川真悟さんをお迎えして、いろいろなお話を伺った。
彼は高校卒業後に沖縄を離れることになった。彼の言葉を借りると「落ちるところまで落ちてしまった」という。でも、彼の心の中には、常に母親への思いがあった。沖縄に戻り、音楽で再起をかけ「アンマー」(お母さんという意味だ)というシングルを発売した。彼は、そのCDを直接母親に渡せず、机の上にそっと置くだけしかできなかった。それから、しばらくして、彼が母親の車を車検に出すために運転したところ、流れてきたのは。リピートがかかりエンドレスに演奏された「アンマー」だった。お母さん、ありがとう…
6月2日放送分
小さい頃は体が弱かった。今でこそメタボを気にしつつも風邪も引かない体となり心臓まで毛が生えてきているようだが、当時は怪我を含めてかかった病気の多いこと。そういう私の幼い頃の記憶には、必ず天井の模様が出てくる。それだけ布団の中にいた時間が長かったのであろう。水枕はもちろん、額の上には氷嚢が下っていた。そして「大丈夫か」と1日2回、親父の顔が目の前に現われる。
そんな私は6歳の時に1ヶ月以上入院をしたことがある。入院前後の容態は憶えていないのだが、入院する前からかなりの期間寝込んでいたことだけははっきりと記憶している。入院した病院は名古屋市の栄という繁華街に位置する病院である。そして、私がまだ小さかったということから、和室が二間ある広い病室が用意された。そこで家族4人が一ヶ月生活することになる。その年のクリスマスも病院で過ごす。サンタクロースへは「レーシングカーが欲しい」というお願いをしてあった。ただ、自宅ではなく入院している私の所にちゃんとプレゼントが届くかどうか不安であったのだが、ちゃんと届いたところが流石はサンタクロースと妙に感心したものだった。
退院することになった私は、退院祝いに「トランシーバー欲しい」と両親に頼んだ。なぜ欲しかったのかというと、他の病室に入院していた戦友がトランシーバーを持っており、部屋を行き来しなくても、寝床の中から話が出来たからである。
しかし、当時のトランシーバーは高かったと記憶している。デパートの電化製品の売り場に行って子供心にそんな印象が残っている。しかも、他の電化製品、テレビや洗濯機、冷蔵庫などいい値段をしていた。初めて値段というものを意識した時であった。
さて、今週のテーマはモノの値段である。いろいろなモノの値段を取り上げた。駅の自動改札機がおよそ1000万円、四つ角にあるミラーが18万円。パンダのレンタル料は年間1億2000万円…いろいろとある。自分の身の回りにある値段を調べてみるのも面白い。
ふとトランシーバーを見ると入院した頃を思い出してしまうのと同時にトランシーバーの向こうにいる過去と話が出来たらどんなに素敵な事だろうと思ってしまう。
5月19日放送分
「ちょっと待ちなさい!」朝の通学路には決して似つかわしくない声が響いているのだが、どこかで聞いたことのあるような声。ふり返ると学校へ通じるあぜ道の通学路、そこには学校へ急ぐ児童でいっぱいなのだが、まるで大名行列を迎える旅人のように両脇へと子どもたちがどいていく。その先には、なんと母が自転車に乗ってこちらに向かってくるではないか。どうやら、私は忘れ物をしてしまったらしい。当時、福岡で通っていた小学校は子どもの足で40分近くもかかる、それだけ離れていた。忘れ物を取りに容易に家に戻れる距離ではない。忘れ物を受け取った後は、回りに対する恥ずかしさと忘れ物をせずに済んだ安堵感を持って学校へと向かっていった。母親は今来た方向とは逆の方向にペダルを漕ぎ出した。母はどんな気持ちで子どもたちの中を帰っていっているのだろうか。
「おい、早く乗り込め」監督の声にせかされてマイクロバスに乗り込む。接戦ではあったが、悔しい逆転負けである。毎年夏休みに行なわれる市の野球大会に1回戦で負けてしまったのだ。後にも先にもたった一度だけ兄弟でバッテリーを組んだ公式戦であった。私が投げ、弟が受ける。街から離れた野球場での敗戦は帰る足取りも重くする。バスが動き始める。ふと、窓の外に目をやると、父が漕ぐ自転車の荷台に母が乗り、こちらを見ているではないか。こんな遠いところまで僕ら兄弟の試合を見に来てくれたのか、と思うと思わず帽子のツバを深くしてしまった。
なぜか、「自転車」をという言葉を聞くとこの二つの情景が浮かんでくる。自転車は冷たい鉄のパイプで出来たものではあるが、自分には親の愛情がいっぱい乗っているように思えて仕方が無い。
今週のテーマは三人乗り自転車だ。現在はまだ認められていないが、警察庁では現在検討中である。この三人乗り自転車は子どもたちが後ろのカゴに乗る形になる。安全性の高い自転車にするため費用もかかるという。1台数万円になるであろう、と言われている。でも、大事なのは値段ではないような気もする。親子の自転車は愛情が詰まっている。