野村雅道のID為替 (レポート)|FXブログ|外為どっとコム

懲りない人々、危機は何度でもやってくる、ロシアの場合、ただ危機はチャンス

「懲りない人々、危機は何度でもやってくる、ロシアの場合、ただ危機はチャンス」

「ロシア通貨危機、1998年」

登場人物エリツィン大統領、キリエンコ首相、ルービン財務長官、IMF、LTCM(ロシア投資、ユーロ創設に関する投資で失敗)
 中国、アジア諸国、ユーロ発足前の欧州当局

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ロシアの財政が悪化したところへアジア通貨危機も受けて発生したデフォルト。1998年8月にキリエンコ政府並びにロシア中銀の行った対外債務の90日間支払停止と、これに起因するルーブル下落、資本逃避などの経済的危機が生じた。

「当時のロシア経済の状況」

ロシアの貿易は、輸出の80%を天然資源(石油、天然ガス、金属、木材)に依存した。これは、世界経済の状況に影響されやすく、世界的デフレで当時物価が下落しつつあった状況下で財政は悪化しつつあった。殊に、原油価格の下落に伴い税収が減少したことが、ロシア政府の財政を悪化させていた。

「経過」

アジア通貨危機を経て投資家の安全指向が高まり、金利は高いがリスクも高いロシア関連株よりも、安全な米国債等への資金の移動が起こった事も事態を悪化。ロシアが一時的な混乱から直ぐに回復すると見たファンドの予想を裏切り、事態が悪化して行った事から、多大な損失を被ったファンド(ノーベル賞経済学者、元FRB副議長が創設したLTCM)が倒産の危機に陥り、これも金融危機を拡大した。

「政変」

賃金支払いを受けられず困窮した炭鉱労働者は、1997年夏にシベリア鉄道を封鎖し、ロシアの広大な領土は数週間に渡って2分される事となった。彼らは賃上げ要求に加えてエリツィン大統領らの辞任も要求した。これをうけて、エリツィン大統領は1998年3月23日に、チェルノムイルジン首相と、その閣僚を突然罷免し、政治危機が高まった。エリツィン大統領は、35歳の技術官僚キリエンコを首相代行に指名。その若さと乏しい実績から、ロシア議会は2度にわたり拒絶したがエリツィンが議会解散をちらつかせつつ承認を求める対立状況が1ヶ月続いた後、議会はキリエンコを承認した。

「超高金利政策」

キリエンコはルーブルの下落を防ぐべく強力な内閣を組織し、新興財閥(オリガルヒ)も為替レート維持の姿勢を見せるキリエンコを支持した。そして、資本の流出を止め、投資家を引きつけて国債を消化させるために、150%の超高金利政策を打ち出した。しかし、アジア通貨危機を経験した投資家の指向は既に「質への逃避」を起こしており、また、原油価格の低迷からロシア財政改善の兆しも見えず、結局資本の流出は止められなかった。この状況では、1998年中頃には、ルーブルを買い支える資金が無くなり、為替レートを維持する資金をIMFから仰ぐより他に無くなることは明白であった。

「IMF融資」

IMFの援助なしではエリツィン政権が保たないものと思われた。米ルービン財務長官は、ロシアの崩壊から世界金融市場へ波及し恐慌に陥ることを恐れた。結局、IMFは226億ドルの緊急支援を承認した。

「デフォルト」

 この救済処置をもってしても事態は好転しなかった。キリエンコ政府とロシア中央銀行は対外債務の90日間支払い停止を発表。
ルーブルはなおも下落を続けた。銀行の多くは、海外から米ドル建てで資金を調達しており、ルーブルの暴落と共に破綻した。西側の債権者も大きな損失を被った。この危機により資本逃避が発生し、資本は急速にロシアより流出した。

「落ち着き」

中国を中心とするアジア諸国の回復、急成長を受けて、資源重要も伸びロシアは回復。LTCMもレベレッジさへ低ければ、さらに名声を高めていただろう。着目点は良かったが、ハイレバに耐えられず道半ばで破たん。もちろん被害はLTCM幹部になく、投資家が被った。


 

FX湘南投資グループ代表
野村 雅道(のむら・まさみち)氏

1979年東京大学教養学部を卒業後、東京銀行(現三菱UFJ銀行)入行、82年ニューヨーク支店にて国際投資業務(主に中南米融資)、外貨資金業務に従事。85年プラザ合意時には本店為替資金部でチーフディーラーを務める。

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