-この寒さは何だ?
確か、退院した2月20日前後は急に暖かくなり、気温が摂氏25度を超えたことを記憶している。
3月に入ってからも、月初は暖かかった。
あ、これは桜の開花が早まるな、と思ったが、その後の寒さは何だ?
ウチの近くの、桜が大変綺麗な、三渓園に繋がる“桜道”もまだ蕾しか見られない。
今朝だって気温が8度前後だという。
収めておいたコートを再び引っ張り出さなければならないほどの寒さだ。
“花冷え”とは格好いいが、寒いものは寒い!
-昨日から高速道路料金が大幅に値下げになり、(ちょっとしたルールがあるらしいが)上手く使うと、何処まで行っても片道1千円だと言う。
昨日のテレビのニュースを見ていたら、“高速料金が安くなったから、遠出をしよう。”という家族が増えて、高速道路は大混雑だったらしい。
値段が安くなり、人々が外に出てその分消費が増えれば、それは景気にとっても大変いいことであるが、“ちょっとした車好き”には心配な点がある。
所謂、“サンデー・ドライバー”の増加である。
“サンデー・ドライバー”とは、ウィークデイは会社勤めで車には乗らず、日曜日に家族を連れて外出するのに車を使う人達のことを言うのであるが、何せ普段車に乗らないので、メリハリの効いた運転が出来ない。
例えば、
高速道路を100キロで追い越し車線を走り続けて、速い車に左側から追い越されて、初めて気付いて、慌てて走行車線に戻る。
インターチェンジから高速道路に入る時に、加速車線から中々勇気を出して本線に入れずに、下手をすると一時停止してしまう。(あれ、一旦止まったら、ゼロ・発進して走行車線に入るのは大変ですよ! 合流する前に思い切って加速して、走行車線の車の流れに乗って、スッと入れば宜しい。)
やたら、ブレーキを掛ける。車間距離を保ってはいるが、後ろに付いていると気が気ではない。えーい、と追い越すとこういう輩に限って車間距離をやたらに詰めてきて、追突されそうで気味が悪い。
-何処かの副大臣さんが、“株の売買をしてはいけない。”というルールを破って、保有株式を売却してしまい、責任を取って辞任したらしい。
“またか!”
記者の、“ルールを破ったという認識はありますか?”という質問に、“微妙、微妙。”と言ってうすら笑っている。
記者が、“それでは答えになっていません。認識はあったんですか?”と再度質問すると、“微妙。”としか答えない。
何が“微妙”だ!
余計なことは言いたくはないが、まああれは確信犯ですな。
我が国は、とうとう“経済は2流に、政治は3流”に落ちぶれたかと嘆いていたが、“政治は4流”ですな。
全くもって、嘆かわしい! 腹立たしい!
-色々腹が立つことが多いこの頃であるが、一つだけ嬉しいことがあった。
日々のブログでもご紹介した車の任意保険の件である。
車を買い替えて、新しい保険に加入し直さなければならないが、思ったよりも、ずっと新保険料が安かった。
保険について知識の有る方が、“保険料の料率は大体決まっている。その保険料の査定を間違えたんでしょう。”とご指摘されたが、そんなことはなかった。
只、幾つかの点について、説明不足であった嫌いがある。
-前の車(プリウス)の保険の満期日が今年の9月であり、半年間だけの増額となる。
-昨年査定に使ったプリウスの車両価格が245万円と、高額であった。(あの頃は、ガソリン価格の高騰で、プリウスが馬鹿人気であった。)
インプレッサ・STIの車両価格を365万円で計算し、後から付けたディーラー・オプション分を上乗せしていなかった。従って、120万円分(365万円-245万円)の車両価格の上乗せだけで済んだ。
-やはり、STIとプリウスの料率が違い、車両価格は1ランク高くなるが、傷害は据え置き、対人は2ランク、そして対物は1ランク料率が下った。
-STIの安全装備が、プリウスのそれより多く、割引率が上がった。
ABS、デュアル・エアバッグ、低公害車は一緒であったが、安全ボディー、横滑り防止、そしてイモビライザーが割引の対象に加わった。
その結果、新しい保険に加入して余計に払った保険料は、たった(?)2500円で
あった。
びっくりしたけど、嬉しかった。
そのインプレッサ・STIが明後日に納車される。
最初は、“納車は早くても4月の中旬です。”と言っていたが、大体こういうのは遅めに言
っておくものと心得る。
“4月の第一週に来ます。”と聞いていてそれが遅れると甚だ面白くないが、“4月の中旬
です。”と言われていて、それが4月の1日に来るのであれば、それは嬉しい。
問題は、折角車が来ても、ちっとも乗る時間が無い。
380RSと、インプレッサ・STI合わせて650馬力も、宝の持ち腐れになりそうである。
ここ数日、再びひどい花粉症で悩んでいる塾長。
日々のブログに、“プロの為替ディーラーになりたいと思っているのだが、どう思うか?”とのご質問があったので、この“週刊・独り言”のネタ、いやテーマにさせて頂くことにした。
お断りしておくが、これは塾長の経験に基づいた全く個人的な意見であり、参考にして頂くよりも、“ふむふむ、そんなものか?”と読んで頂ければいなと思う。
先ず、“為替ディーラーとは何か?”であるが、プロの為替ディーラーには二種類ある。
一つは、“カスタマー・ディーラー”と言われる職種で、お客さんとインターバンク・ディーラーの間におり、お客さんの売買注文をインターバンク・ディーラーに繋いで、ディールを執行したり、お客さんにアドバイスをする。
よく耳にする、“為替アナリスト”、“為替ストラタジスト”の一部もこれに該当する。
そしてもう一つが実際に為替取引に従事するディーラーで、これも二つに分けることが出来ようか?
よくテレビなどで紹介されるのが、“インターバンク・ディーラー”であり、彼らは与えられたポジション枠の中で、自由自在に通貨を売買し、基本的には短期のディールに専念する。
“デイ・トレーダー”と呼んでもいい。
彼らは、下ると思えば売り、上がると思えば買って、大規模な額の取引を行って、小さい利益を上げることを厭わない。
いや、小さい利益を厭っている暇は無い。
兎に角、売ったり買ったりして為替売買益を狙う。
ドル・円が100円から90円に落ちようが、また再び90円から100円まで戻そうが、余り気にしない。
その途中の相場の動きを捕まえて、“下ろうが、上がろうが”、どっちでもいいから利益を上げればいい。
そしてもう一つが、“ポジション・テーカー”、或いは“プロプライエタリィー・ディーラー”=(プロップ・ディーラー)と言われ、比較的中・長期のポジション保有を狙い、日々の多少の相場のブレは、余り気にしない。
100円から90円に落ちるのに、一気に落ちはしないで途中紆余曲折(100円から98円に落ちて、また99.50まで戻す。94.50まで落ちて、“しめた!”と思ったら、また97.00まで戻した。でも結局は90円まで落ちたぜ!)があるが、じっと耐えて自分の相場観を信じて、断固としたディールをする。
通常は、“インターバンク・ディーラー”を何年か経験したベテラン・ディーラーがその職に就くのが普通である。
この仕事は、儲かっていると格好いいが、一旦損をしだすと惨めである。
兎に角、“ドル・円は90円に落ちるんだ!”と信じているのだから、ドルをショートにして、じっと待っているだけ。
大袈裟に言うと、相場が下る局面では、会社に来ても何もする事が無い。
儲かっていると、周りから“あの人はああやって、長期のポジションを持って、利益を上げるんだ。凄いなあ!”と賞賛の目で見られるが、これが一旦損をし始めると、“あの人、毎日何をやっているんだろう?90円に行くと言ってショート・ポジションで頑張っているらしいが、行きゃあしないって! ホント、我々にも迷惑なんだよな。”と影で中傷される。(多くの場合、先輩がやっているから大っぴらには批判出来ない。)
勝てば(儲かれば)官軍、負ければ(損すれば)賊軍と言うヤツである。
傾向として、儲かる時は凄く儲かるが(そりゃあ、100円で売って途中何もしないで数ヵ月後に90円で買い戻す、“いいとこ取り”だけしていれば、ごつく儲かりますよね!)損をする時もデカイ!
勿論、あるレベルまで相場が逆に行くと、損切りをしなくていけないが、それが往々にして遅い。
だから、損失も大きくなる。
只、彼らは過去の“Track Record.”=(過去の輝かしい業績や実績)があるから、短期間損失を出しても、直ぐに首になることはない。
そして勿論、優秀な“ポジション・テーカー”は、その月が駄目でも、その期が駄目でも、はたまた半年駄目でも、一年が終わってみればちゃんと利益を上げている。
そして、目標をちゃんと達成すれば、それ相応のIncentive Bonus.=(ボーナス)が頂けるのである。
“インターバンク・ディーラー”も、“ポジション・テーカー”も、大変厳しく、辛い職業である。
我が国の金融機関のプロのディーラーの場合、ディーラーとして入社するケースは殆ど無い、と言ってもいいだろう。
普通の銀行員、或いは証券、商社、機関投資家(生保、損保)などに入り、“ひょんなことから”為替をやらされて、頭角を現す、というケースが多いと思う。
その“ひょんなこと”が、機転が利くとか、マージャンが強いとか、英語が出来るとか、周りとの協調性が高いとか、ユニークな意見を持っていて、それをちゃんと表現出来るとか、色々であろう。
難しいのは、それらの点を鑑みて、“ふむ、こいつはいいディーラーになるかも知れない。”と思ってやらせても、まあ大体その9割は期待に反して、“モノにならない。”ケースが多い。
機転が利いても、協調性が無い。
マージャンは強いが、サキヅモをしたり、大声で喋ったり、マナーが悪い。
英語が出来るが、只それだけ。 アメリカに行けば、子供だって英語を喋っているわい!
協調性は大いにあるが、ポジションを持つとビビッてしまって、人が変る。
ユニークな意見を持っているが、人前で上手くプレゼンテーションが出来ない。
まあ、帯に短し、襷に長しが多い。
塾長が属した外資系金融機関は違う。
多くの場合、既にTrack Record.を持っている優秀なディーラーを雇い入れる(所謂、ヘッド・ハンティング)のが普通で、即戦力となる。
期待に反して、Mediocre Dealer.=(二流のディーラー)であれば、まあ1年もしないで首!
そんな世界なのである。
さて、“プロの為替ディーラー”になるべきかどうかのご質問であるが、率直に言って、物凄く難しいと思う。
先ず、“ディーラーとして”雇って貰うだけのちゃんとした“Track Record.”が無いでしょう?
“はい、私はこれだけ儲けました。”と自分のFXの取引記録を見せても、誰も評価はしない。
“Good for you !”=(良かったですね!)で、お終い。
何時も口を酸っぱくして言うように、あくまでもFXは、余裕資金を如何に効率よく、安全に運用するための手段に使うべきだと思う。
世の中には凄い人達がいて、Virtual FX.で巨額の利益を上げてフェアレディー・Zを貰ったり、また実際に自分の余裕資金を運用して相当額の利益を上げている人達がいるのは知っているが、その人達の並々ならぬ苦労を理解するのは、甚だ難しい。
それこそ、ウィークデイは寝るのを惜しんでディールに没頭していることであろう。
そこまで、やる覚悟がありますか?
それを何年続けますか?
折角抱いておられる大志に水を差す積りは無いが、
Please be realistic.=(どうぞ、現実をちゃんと見詰めて下さい。)
ちゃんとした仕事を持ち、毎月Hard Cash.=(ちゃんと貰える毎月の給料)を頂きながら、余裕資金があればFXで運用して下さい。
結局、いいアドバイスにはならなかった筈であるが、忌憚の無い意見を述べた積りである。
ご意見、ご反論、大歓迎!
今日も花粉症で参っている塾長。(今日が一番ひどいと思う。朝から、何百回くしゃみをしただろうか?)
先週の為替市場での最大のイベントは、何と言ってもS.N.B.=(スイス・中央銀行)が利下げと同時に行った、スイス・フラン売り介入であろうか?
政策金利を0.25%引き下げて現行の0.25%にすると共に、
“外国為替市場で外貨買い介入を行った。”=(中央銀行・スポークスマン。)と発表した。この外貨とは、恐らくユーロであろうが、要するに“スイス・フラン売り&ユーロ買い”の介入を行ったのである。
正直なところ、驚いた。
この介入は、スイス・フランが高過ぎるから、将来のデフレ懸念及び輸出への悪影響を考えて、スイス・フラン売りを行って、介入で押し下げようという意図も勿論あったが、売ったスイス・フランを市中に放置して量的な金融緩和を行おうということも大きな目的であったのではなかろうか?
つまり、利下げを行って通常の金融緩和を行い、同時に量的な金融緩和も目指したというところか?
これを、“非不胎化介入”と言う。
中央銀行による久々の為替介入で、当然スイス・フランは下落し、ユーロは上昇、そしてドル・円も95円台から98円台へと3%も上昇した。
興味が有るのは、一部の評論家が、“これにより我が国金融当局による、円売り介入がし易くなった。”と言い、ドル・円の上昇の一つの原因となったと言う。
何故、“円売り介入がし易くなった。”かのロジック=(論理)が、イマイチよく理解出来ない。
我が国の政策金利(現行0.1%)が、これ以上の利下げを行う余裕が無いほど低いのは重々承知はしているが、S.N.B.と同じことをやってまで(円売り介入を行い、その円を市場に放置する。)量的緩和を早急にやる必要があるとも思えないし、そもそも円売り介入は、財務省の管轄で中央銀行である日本銀行はその執行を行うだけ。
また、もしドル・円で円売り介入をする為にはアメリカ財務省との合意が必要であるが、ビッグ・スリーを代表とするアメリカの主要産業が下手をすると倒産の憂き目に合うかどうかの瀬戸際の今、アメリカ政府がそれを認めるかどうかは、甚だ疑問である。
この突然の介入でドル・円が上昇して円安となり、ちょっぴり嬉しい人が結構いようが、どうもこのままどんどん円安が進むとも思えない。
決算月である3月も、残りあと僅か半月となり、株価、為替相場も目まぐるしく動く。
どうやら、年初から大見得を切って言っていた、“1ドル=65円までの円高”は無さそうになってきた気がする。
相変わらず、日米欧が“三すくみ”である現状では、突出して強くなりそうな通貨は見当たらないが、売りたい通貨は山とある。
まあ、今は塾長得意の“のらり・くらり・ディール”を続けて、機が熟するのを待つのが肝要であろうか?
先週の金曜日、週刊・経済誌である“日経ヴェリタス”に頼まれて、金沢で講演を行った。
同じ主旨で先々週は大阪で講演を行ったが、お越し頂いたお客さんの反応がまるで違う。
大阪は熱気に包まれ、幾つかのご質問も頂いた。
金沢は総じて静か。
随分昔に仙台でセミナーを行って、やはり皆さんが大変静かで大人しいのに驚いたことがあったが、これも気質であろうか?
総じて、東北、そして裏日本の方々は控えめでいらっしゃる気がする。
その反対が、大阪。 実は、塾長は大阪の皆さんの”ノリ“は、大好きである。
東京も皆さん熱心であるが、ちょいと“気取った”ところがあるので、中々手を上げて質問をするということは無いかも知れない。
この原稿の準備を日曜日に行っているが、外はポカポカ。
大変、暖かい。
と言う事は、花粉がブンブン!
目が痒くて、鼻がグズグズして、甚だ不快である。
まあ、これも春を待つ身としては仕方あるまい。
もうそろそろ、桜の開花のニュースが聞かれる頃だ。
4月3日(金)は桜の日となりそうである。
日中は、日本一桜の綺麗な“桜ヶ丘・カントリークラブ”でゴルフを行い、夜は東京一の桜の名所である“千鳥が淵”で、“桜を愛でるパーティー”に呼ばれている。
これは、春の恒例行事で、毎年ご招待頂いている。
両方の場所の、綺麗な桜の写真をご披露することを約束致します。
“杉花粉の飛散のピークは過ぎた。”と聞いてほっとしている塾長。
先週、大阪でセミナーをやり、帰りの新幹線のホームで日経新聞を買おうと思って、キヨスクに立ち寄ったところ、自動車の雑誌を売っており、“インプレッサ・WRX STI・コンセプトA”試乗、と銘打った、塾長が先日購入した車の試乗記が目に入った。
その雑誌を購入してめくって読んでみると、“牙を抜かれた飼い犬か、野生の血を受け継ぐ猟犬か?”との、結構ショッキングな見出しで、STIの試乗記が書かれてある。(最初の写真)
苦笑いをした。
日々のブログでちょっとだけこの購入したインプレッサ・STI・A Line.についてご紹介したが、この車、ちょっと変わった車かも知れない。
先ず、この車のベースとなっている、インプレッサ・WRX STIについて説明すると、この車はラリーで何度も優勝したWRXを、街乗り用に大人しく味付けした(塾長のもう一台の車であるニスモ・380RSも、同じ様にディチューンといって、元々500馬力の380RSCというレーシング・カーを街乗り用に350馬力に大人しくしている。)車で、2リッター・エンジンのくせに、何と6400回転で308馬力の出力と4400回転で43.0キロのトルクを誇る。
小さなエンジンで高出力を引き出し、取り回すのにちょっと大変だが大変面白い車なのである。
それで、塾長が今度購入したインプレッサ・STI・A Lineであるが、この大変だが面白いSTIのエンジンを大きくし、逆に出力を落とし、おまけにギヤをオートマチックにした。
インプレッサ・STI・A Lineは、2.5リッター・エンジンを積み、6200回転で300馬力、そしてこれが面白いのであるが、2800~6000回転で35.7キロのトルクを生み出す。
あれ、何故2800~6000回転のバンド=(幅)があるのか?
オリジナルのSTIは4400回転が“最も美味しい、力のある”回転数で、ここら辺が一番車をグイグイ引っ張ってくれることになり、理想的にはシフト・アップ(1速から2速、そして2速から3速、とギヤを上げていく。)のタイミングを4400回転にすれば、最も早く加速していく。
6速に到達する頃は時速200キロを越えていると思う。
で、STI・A Lineの最大トルクが2800~6000回転の幅があるということは、要するに回転数をこのバンド内に収めておけば、常に最大の引っ張る力をくれるということである。
片や、ピン・ポイントで4400回転を狙う、そしてもう一方は余裕で3200回転の幅の中に入ておけばいいのであれば、運転は凄く楽である筈だ。
だから、試乗インプレッションで、“牙を抜かれた飼い犬か?”と、ちょいと小馬鹿にされたのであろう。
そんなことはないと思う。
“凶暴な猟犬”に乗りたければ、A-Line.ではない、普通のインプレッサ・STIにすればよくて、ちょっと大人しくて扱いやすい“野生の血を受け継ぐ猟犬”にしたければ、A-Line.にすればいいのだ。
“猟犬”は、ニスモ380RSが一台あればいい。
2枚目の写真で紹介されているように、“低回転域からの太いトルクでグイグイと加速する、従来のSTIとは一線を画す新しい走り!”が出来ることを大変楽しみにしているのだ。
ところで、大阪に行ってまた発見したこと。
ホテルの部屋のテレビ番組が、総て“地上デジタル”=(所謂、地デジと言うヤツ。)になっていて、甚だ映りが綺麗である。
実は我が家のテレビも、“地デジ対応”であるが、どういう訳か地デジが見られず、ウチのヤツからもう長い間、“どうにかしてくれ。”と言われていたが、どうもこういった“キカイ”には強くない。
“俺には出来ないよ。”と逃げていた。
車の取り扱い説明書なんて、未だに全部を読み切っていない。
カーナビの機能なんて、恐らく五分の一も使っていないと思う。
最近は、カーナビに向かって、“自宅!”と叫べば、ちゃんと自宅地図を出してくれるらしいが、そんなアホ臭いことなんか、一回もやったことはない。
不思議なことに、全く同じテレビが違う部屋にあるのだが、こちらはちゃんと地デジが映るのである。
理由は、こちらは約1年前に買って、業者がセット・アップしてくれて、総て万全な状態にしてくれていた。
で、リビングにある写真のテレビはその約1年前に買って、どういう訳か自分で取り付けて、訳が分からなくなっていたのである。
“何故、同じテレビなにに、こっちは地デジが映らないんだよ?”
確かに、ウチのヤツでなくても不思議に思いますわな。
よし、大阪から帰ったら、真っ先に“リビングのテレビでも地デジが見られるように、細工だ!
で、2冊あるこのテレビの説明書を取り出した。
1冊は、“準備編”で、2冊目は“操作編”とある。
ああ、もう頭が痛くなってきた。
えーい、ままよ!
“準備編”の第2ページ(1ページ目は表紙だから、まあ最初のページといえる。)に、“アンテナ・ケーブルをつなぐ。”とあり、そこに図解入りでアンテナ入力/出力(VHF/UHF)端子のBから、短いケーブルでアンテナ入力(地上デジタル)端子につなげ、とある。
テレビの裏蓋を開けてみると、そんなものは付いていない。あ。これだ!
で、隣の部屋の同じテレビの裏蓋を開けてみると、付いてる!
長さ、たった20センチそこらの短いケーブル。
何だ、これだけだったのか?
どうしたのだろう? 無くしたのかな?
そのケーブルは明日にでも、B..C..で買うことにして、取り敢えず隣のテレビからそのケーブルを外して、リビングのテレビに付け替えたら、はい、大成功!
写真は、日曜日の朝必ず見るテレビ番組であるが、ご覧下さい。
地デジは最初から画面一杯に映っているが、アナログはテレビ自体が最適な“画面サイズ”を選んで、この番組の時は左右が切れている。
日曜日の午後に、名古屋国際マラソンを地デジで見ながら、“どんなにアナログ放送と違うだろう?”と思ってちょこちょこ見比べたが、地デジには色々な情報(誰が今何位で走っている。)が左に出てくるが、アナログ放送には何も無し。
たまげた!
確か、2011年には総て地デジになると聞いているが、皆さんもまだ地デジ対応をしていないのなら、或いは塾長のようにハードは対応しているのに、何らかの理由で未だアナログのままで見ているのなら、なるべく早くお代えになることをお勧めする。
兎に角、デジタル放送は綺麗だ!
そして、デジタルにするのは、そんなに難しくはありませんでした。
“駄目だ、駄目だ。”と思っていることも、“真面目にやってみると”意外に簡単に解決するかも知れない。
FXの“損切り”は、もっと簡単ですからね。
最初から、決めておいてそれを実践すればいいのである。
花粉症で、参っている塾長。(皆さんは、如何ですか?)
p.s.
今朝の、ニュース・モーニング・サテライトを見ていたら、大変興味のあるインタビューを紹介していた。
タイトルは、“第二のリーマンショック到来か?”
これは、大変だ!
http://www.tv-tokyo.co.jp/nms/2009/03/post-1009.html
是非、ご覧下さい。
毎年恒例の、アメリカでのGolf Outing.=(ゴルフ旅行)の日程が決まった。
9月23日(水)から24日(木)、25日(金)と三日間、ぺブル・ビーチでプレーすることとなった。
去年の暮れに、“たまには、West Coast=(西海岸)から場所を変えて、例えばスコットランド、或いはハワイはどうだろう?”との意見が出たが、
-スコットランドは天候が不順で、折角なら気候のいい所でやりたい。
-ウィークデイは、せいぜい3日間くらいしか空けられない。(残り7人のメンバーは、銀行の会長、頭取、Executive Vice President.、お医者さん、そしてでかいFund Manager.(3年前、例のPrivate Jet.でオレゴンに連れて行ってくれたBob.)などで、多忙なのである。)
などの理由で、やはりWest Coast.でやることになった。
5人は、シカゴからサン・フランシスコまでPrivate Jet.で飛んで来るが、ハワイは、ちと遠いらしい。
あと2人は、サン・フランシスコ在住で、残りは塾長である。
“何時でも、何処でもいいよ。”というのは、塾長だけらしい。
“どうだい、日本でやろうよ!”と言ったら、“アメリカから7人が大挙して日本に行くより、日本からお前が1人でアメリカに来る方が、Make sense.=(どう考えても効率いい。)ということで却下となった。
昨年は、先日石川遼君がアメリカ初デビューしたリヴィエラ・カントリー・クラブで、プレーし、一昨年はSan Diego.で、その前がぺブル・ビーチだったか、オレゴンだったか忘れた。
ぺブル・ビーチは4年前かな?
気が早い塾長は、もう既に飛行機の手配をした。
9月22日(火)にサン・フランシスコに発って同じ日に到着し、23日、24日、25日にプレーして、26日(土)に日本に発って、27日(日)の午後に帰国予定。
まあ、要するに3ラウンドのゴルフをする為に、五日アメリカに滞在する訳だ。
去年のニュージーランド旅行(3時間のパーティーに出席する為に、往復40数時間掛けて行った。)よりは、まだましだ。
ところで、ご存知のように塾長は依然として猛烈にアメリカ=米ドルにBearish.=(弱気)
であり、アメリカの実体経済は益々悪化し、個人消費もまだ減退すると思っているのだが、ところがどっこい、ぺブル・ビーチのような名門ゴルフ場は、不景気なんて何処吹く風らしい。
サンフランシスコ在住で、今年の幹事のPhil.が以下の様なメールを送ってきた。
Subject: Re: 2009 Golf Trip
I should have added that I have booked rooms for each of you in the Lodge at Pebble Beach for Wednesday and Thursday nights. If you want to arrive earlier or depart later or play another round of golf at one of the Pebble courses (Pebble, Spyglass Hills and Spanish Bay) in addition to what we have planned let me know and I'll try to book what you want as soon as I hear from you. Even in a Depression Pebble golf reservations can get scarce for September bookings.
It's blowing and raining here now, but September will be magical.
Phil
:2009年のゴルフ・トリップについて。
(先程のメールに)水曜日と木曜日の晩に、ペブル・ビーチのロッジに皆さんの部屋を確保したというのを加えるべきでした。
もし、私がアレンジした以外に、例えば早く到着する、遅くまで滞在する、或いは他のぺブルのコースの一つ(ぺブル、スパイグラス・ヒルズ、スパニッシュ・ベイ)でもう1ラウンドプレーしたい、などの要望があれば、仰って下さい。
ご要望をお聞き次第、ご希望に添えるようになるべく早くアレンジします。
不況にも拘わらず、9月のペブル・ビーチでのゴルフの予約は凄く難しくなりそうです。
今、此処は(サン・フランシスコ)は、風が吹き、雨が降っていますが、9月は魅惑的になっているでしょう。
フィル。
このGolf Outing.にはたまたま金融界の大物が入っているので、我々はコネを使って、普通の人は恐らくプレーの出来ない“Cypress Point”でもプレーするが、コネが無ければ予約も難しいらしい。
これも、今流行りの“格差”か?
ウォール・ストリートでは、首切りの嵐が吹きまくり、かつて昔は一世を風靡した銀行が、殆ど国有化の憂き目に合う。
アメリカの力の象徴であった、ビッグ・スリーが倒産の危機に直面する。
だけど、一方では半年以上も先のゴルフ場の予約も取り難い状況だという。
何だか変ですな?
相場も、よく分かりません。
“経済が二流で、政治が三流”の国の通貨なんて、誰も魅力は感じない。
ところが、世の中を見回しても、魅力のある通貨が見当たらない。
Volatility.=(変動率)は決して下がってはいないので、“のらり・くらり”、或いは“Hit and away.”=(ちょこっとジャブを打って、直ぐに引っ込む。)戦法で行きますか?
と言いながら、塾長は依然として大物を釣る積りで、何時も虎視眈々と獲物を狙っているのである。
退院後、10日が経ち、益々元気になっていく塾長。
p.s.
数日後、Phil.から次のようなメールが入った。
PS. Kind of neat to know that Pebble will be the site of the 2010 US Open (June 17-20); so we will be trying out the course 9 months before the golf world will be watching!
:追伸。
ぺブルが2010年のUS・オープン(6月17日~20日)の開催地に決まったらしいです。
世界中のゴルフ好きが見守る9ヶ月前に、そのコースでプレー出来るなんて、素敵ですね!
(大分、口語調に訳しました。)
皆様、ご心配をお掛け致しましたが、無事退院致しました。
先週のこの“週刊・独り言”で、入院していることを白状し、その後“日々のブログ”で色々お話しましたが、その間下界には一歩も出ずにいたので、余りネタも無く、今週も恐らく塾長にとって“一生に一度”の出来事であったろう、今回の入院劇について再び日記風に語ってみたいと思います。(ちょっと、日々のブログと重複します。)
Day 1.(木曜日)
“午後2時までに、外来に来て、入院手続きをして下さい。”との指示を受け、持って来るようにと言われた“必需品”を携えて入院した。
部屋に案内され、根津神社の駐車場を斜めに見る、東南の大変日当たりの良い部屋をご提供頂いた。
さて、入院に当ってのご説明を受けた。
これは、相当真面目で厳しい内容でしたぞ。
基本的には、手術を行うに当っての患者としてのリスク。
手術を受ける前に施される麻酔のリスク。
まあ、これはFXをやるに当って、そのリスクを完璧に理解しているのかをチェックされるのと同じですな。
リスク無しで、総てがすんなりと行く訳が無い。
いや、すんなり行くことは分かっているのだが、“万が一”のことを理解しておかないと、何かが起きた時の責任の所在もはっきりしない。
総てのご説明を受けて、“私も金融関係に長くいて、取り引きに関してのリスクは総て理解、そして了解をしてやって参りました。全く、問題ありません。“と言うと、ほっとした表情をされた。
患者さんによっては、リスクの説明がよく理解出来ず、“えっ、では麻酔が失敗すると半身不随になることがあるのですか?”とか、“えっ、では腹膜炎を起こすと死に至ることもあるんですか?”と血相を変える人もいるらしいが、それも理解出来る。
何事も、“完全”ということは有り得ない。
兎に角、塾長の手術も大成功で良かった。
夕食を頂いたが、大変美味しい。
“病院食は不味い。”と聞いていたが、そんなことはない。 完食。
“午後9時以降は、飲み食いをしないように。”との指示がある。
いよいよ、始まるか。
Day 2.(金曜日)
日々のブログでご紹介したが、8時から麻酔の準備が始まり、手術は9時から開始。
塾長は8時半から午後3時までの記憶が全く無い。
凄く痛い、脊髄に打つ麻酔の麻酔を打たれた後、酸素マスクの様な物を宛てがわれて“眠くなりましたか?”と聞かれて、そのままストン。
揺り起こされて、切除した物や胆石を見せられたが、うろ覚えである。
病室に戻ってやっと意識が戻って、時計を見ると午後3時を回っている。
当初は、“手術は約4時間くらい掛かります。”と言われていたが、6時間の大手術だったんだ。
喉がからからに渇いているが、水が飲めない。
ベッドに“金縛り”の様な感じで張り付けになったまま、身動き一つ出来ない。
情けない。
背中に麻酔を“ちびちび”注入する装置が付いているが、やはり痛い!
2時間おきくらいに看護婦さんが来てくれて、“どうですか?お口を漱ぎましょう。”と大変親切にしてくれる。
ああ、水を飲みたい。 でも、飲めない。
殆ど一睡もしていない感じだが、本当は結構寝ているのだろう。
Day 3.(土曜日)
朝、“お水を一口飲んでいいですよ。”と言われる。
美味しい! これが、寒露の味というヤツだな。
“普段飲むワインより美味しいです!”と言うと、“こんな時でもワインのことを考えているんですか?”と冷たい目で見られた。
昼、重湯(お米のとぎ汁?)を頂いた。 味が無い。
水を飲んだ。 プラスチック容器に入っているので、プラスチックの味がして美味しくない。(さっき、寒露の味がしたのと同じ水なのに.................。)
人間って、勝手なものだ。
飲めない時が終わって、やっと飲めるようになると寒露の味がするが、自由に飲めるようになると、只の水。しかも、プラスチック臭い!
夜は、お粥が出た。
さあ、苦難の夜が始まった。
痛い! まだ背中の麻酔が効いているのが、それどころではない。
二つの臓器を取り出し、手術時間もそれだけ長かったので、それ相応の覚悟はしていたが、兎に角痛い! 身動き出来ない。
もうどうしようもないので、午後9時に消灯して上向きのまま(身動き出来ないのだ。)寝た。
じっとしていると痛みは和らぐ。
痛みを和らげるためにじっとしている。
長い夜だった。
Day 4.(日曜日)
随分、痛みが和らいできた。
じっとしていると、殆ど痛みはない。
じっとしているには、“寝るか、テレビを見るか。”しか無いから、その両方をやる。
本を沢山持って来たが、全くそれを読む気力が無い。
起き上がりたくない。 集中心が無い。 ブログは読めるが、返事を書く気力が無い。
何もしないで、この様にぐだっとしているのを“怠惰”というんだろうなあ?
ご飯は、もう普通の物が出だした。
昨晩長く寝たので、眠くない。
Day 5. (月曜日)
昨晩寝付いたのは、午前3時前。
Day 3.の水と同じで、痛くて身動きが出来ないと文句も言わないで寝ているが、痛みが和らぎ、体が動かせるようになると、このリクライニングのベッドの段差が気になったり、枕が柔らかいと不満を感じだした。
人間の身体って、回復力は凄いけど、自分勝手なものだなあと思う。
背中の麻酔が切れて、違う痛さを感じだした。
“お医者様に、また痛くなったんですが......。”と言うと、“ああ、麻酔が切れたからでしょう。酒匂さん、そりゃあ、身体に幾つか穴を開けたんだから多少痛いのは仕方ないですね。でもね、日が経つにつれて、自分でも驚くほど痛みが去り、回復しますよ。”と仰る。
へへーーーーっ。
ぼちぼち歩き始めたのだが、お腹を抱えてまるで妊婦さんのような歩き方をしている。
じっとしていると、痛みは少ないが、歩いたり咳・くしゃみをすると、きりりと痛む。
くしゃみと言えば、くしゃみが出そうになって身構えると(痛いから)、身体は賢くてそのくしゃみを収めてくれる。 くしゃみが出ないのだ。 本当だ。
Day 5.(月曜日)
大分、調子が出てきた。
ブログに沢山書き込む余裕がある。
段々、食欲が落ちてきた。
“病院食”にしては、美味しいと思うのだが(と言っても、他の病院食は食べたことは無い。)、何せ今は、それこそ本当に、“喰っちゃ寝、喰っちゃ寝”(あ、それにテレビを見ている。相変わらず、本を読む気がしない。)しかしていないので、お腹が空かない。
おかずは大体食べるが、ご飯はお茶碗の1/4くらいしか食べられない。
手術後でもくっ付いていた管(ドレインというらしい。)のところから、多少の出血があると言う。 “大事をとって、明日CTスキャンをしましょう。”と言われ、どきりとする。
Day 6. (火曜日)
CTスキャンの結果は、全く問題無し。
ほっ。 もう二度と痛い目に遭うのは嫌だ。
もう、余裕。 ドレインも取り、歩く時も、お腹を抱えなくても平気。
只、咳・くしゃみをすると依然としてきりりと痛む。
Day 7. (水曜日)
いよいよ、明日退院。
経過は、全く問題無しで、お医者様もびっくり。
有り難いことに、学部長先生、主任教授、他の教授先生などが次から次へと来室されて、励まして頂ける。
実は、これはこの日に限ったことではなく、非番の日以外は毎日必ず部屋にいらして、患部を診て下さる。
これでは、早く治らない筈が無い。
有り難いことだ。
傷口の四つの穴の上にフィルムを貼って、約1週間ぶりのシャワーを浴びる。
日々のブログでも叫んだが、“チョー、気持ちいい!”
お医者様が、“明日、帰宅してお風呂に入る時に、このままザブンと入って下さい。
翌日は、このフィルムを剥がして、ザブンと入って下さい。“と仰る。
ザブンは、“飛び込め。”と言う意味か? 何故、飛び込むのか?
まあ、“傷口は気にせずに、堂々と入浴して下さい。”との意味であろう。
最後の晩だと思うと、何だか感無量で中々寝付けない。
Day 8. (木曜日)
いよいよ、退院。
11時くらいに会計を済ませ、ナース・ステーションで1週間大変お世話になった看護婦さんにお礼を済ませて、退院。
入院中にずっと考えていた、“先ずはお蕎麦”、そして夜は“司さんのお寿司”を実践すべく、“虎ノ門・砂場”に行き、電話で御願いして用意して頂いていた、つまみとお寿司を“司さん”でピック。アップ。
両方とも、美味しかったーーっ!
術後の経過は良好。
Day.9 の金曜日は、今回の手術の発端となったきっかけを見付けて下さった、日本医科大学の呼吸ケアクリニックで、血圧の測定。
80~130くらいで随分落ち着いてきた。
Day.10は、380RSを駆って、ディズニーランドまでドライブ。
車高が低いので、乗り降りする時に身体をかがめると、多少痛みが走るが、これは手術の痛みではなかろう。
それにしても、手術の10日後にサスペンションががたがたに硬いスポーツ・カーに乗れるなんて、感激モノ!
いや、感激モノではなく、只の無茶か?
皆様、沢山のお励ましを頂き、有難う御座いました。
総てに返事が出来ませんが、大変感謝しています。
お陰さまで、すっかりよくなりました。
どうぞ、これからも宜しく御願い致します。
すっかり、快気した塾長。
ここ数日の塾長の元気の無いブログをご覧になって、もうお気付きの方もいらっしゃるであろうが、実は塾長は先週手術を受けて、ただ今入院中である。
数ヶ月前に、ポロリとこの事(最初は高血圧、γ-GTPが高いことが発端で精密検査を受けたら、何と胆石が沢山胆嚢にあり、同時に副腎の表面に腫瘍があることが判明した。)をブログでも触れたので、何人もの友人から、“何時手術をするんだ?”と尋ねられていたのだが、全く個人的なことでもあるし、心配を掛けたくなかったので、何時手術するかは内緒にしていた。
手術も無事に終了し、先生方から“もう大丈夫です。”との太鼓判を頂いたので、ここで白状することにした。
入院した時に頂いた、“入院内容のお知らせ”には、病名は“胆石症・右副腎腺腫)”で、症状は“肝機能障害”とある。
要するに、“胆嚢内で胆石がごろごろし、副腎に腫瘍が出来たから、それらが悪戯して肝機能を悪くさせたのでしょう。”ということらしい。
え、何だ? ではワインの飲み過ぎではなかったのか?
だから、塾長のγ-GTPのやつ、ここ数年(これらが悪戯を始めた?)突然高い数値を示しだしたのか?
あれだけ塾長よりもふしだらな飲み方をするC-chanの方が、“何で数値が少ないんだよ!”と不思議であったが、これで納得した。
ご担当の“主治医氏名”のところに、学部長、主任教授、さらにお二人の教授、それにあと4人のお医者様方のお名前がぎっしり書いてあり、要するに錚々たる方々に今回の手術を受け持って頂いた証である。
看護婦さんも、“こんなに多くの先生方が診られるのは稀です。”と言っていた。
有り難いことである。
塾長は、高校3年生の終わり頃に急性盲腸炎に掛かって、手術をして以来、入院をしたことは無かった。
極めて健康で、今までは病気知らずだったのである。
正直なところ、幾ら日本でも有名な錚々たるお医者様方に診て頂くにしても、手術をすることを全く心配をしていなかったかというと、勿論そんなことはない。
只、その心配というのは、“Concern.”=(心配)というよりは、手術に対しての“Fear.”=(恐怖)であったと言った方がいいだろう。
幸いにも塾長にはいい友達(?)が沢山いて、その何人かは、“手術は、イテーゾ、イテーゾ!”と脅かしやがるものだから、やはり多少は不安になる。
お医者様や、いい友達の中でも本当にいいヤツは、“最近は内視鏡を使って幾つかの穴を開けて手術をするので、全然大したことはありませんよ。”と言ってくれたが、小心者(?)の塾長はやはり駄目だ。
先日の花粉症対策の注射だって、看護婦さんが“痛いですよ、”と言いながら本当に痛い注射をするので、ちょいとめげてしまう位である。
12日の木曜日に入院して最終のチェックをし、手術は13日の金曜日に行ったのであるが、先月にこの手術日を決める時に、主治医の先生が、“酒匂さん、13日の金曜日だと気になりますか?”お尋ねになったので、“ウチの家系は神道を信じていますので、一切気に致しません。”と言うと、大受けであった。
手術そのものについては、全く記憶が無い。
午前8時に麻酔室に入り、結構痛い注射(麻酔の麻酔)をされ、口に吸入器を当てられ、“眠くなりましたか?”と聞かれてからの記憶は無い。
“酒匂さん、酒匂さん。”、と揺り起こされて、眠りから覚めた。
“ほら、こんなでしたよ。”と切除した胆嚢と副腎、そして胆石を見せられたが、おぼろげにしか覚えていない。
そして病室に連れて帰って貰って時計を見ると、午後3時であった。
わう、6時間の大手術だったのか!
腹腔に四つの穴を開け、その内の一つから切除したものを取り出したそうであるが、最近の医術の進歩は凄いですね。
昔なら、腹を十字にかっ捌いて手術をし、退院するのに数週間掛かったんでしょうな。
穴を開けただけとはいえ、腹に穴を開けるのだから、そりゃあ痛い。
特に背中から二日間注入していた麻酔薬が切れてからは、腹部に鈍痛が走る。
一番楽なのは(痛みが無い。)、横たわっていることなので、36時間中30時間寝ているより仕方無かったのである。
ブログのお返事に書きたくても書けない。
“折角のいいチャンスだ。”と思って、普段から読みたいと思っていた本を数冊持って来たが、全くそんな気にならない。(流石に、読み掛けの“神の雫”は持って来なかったのだ。もう本で読んだ筋道は、テレビのストーリーの展開に追い越された。)
ブログでもちょっと申し上げたが、全く何かをしようという気力が湧いて来ない。
ブログのお書き込みを読んでも、考えて返事を差し上げる集中力が起きない。
多少の熱があったこともその原因の一つかも知れない。
申し訳ありませんでした。
それでですね、回復は順調です。
手術の翌日から歩いていたら、“わあ、お元気ですね!”と看護婦さんに言われた。
だって、“歩けたら、なるべく早く歩き出すと回復が早いです。”と看護婦さんが仰ったじゃあないですか!
まだ傷口が痛いので、腹を抱えながらよぼよぼ歩く様は、ちょいと無様(ぶざま)ですな。
それと思い起こせば、手術の当日は痛くて身動きが全く出来ず、口を濯いで貰う(水が飲めないので、喉がからからになる。)のも看護婦さん任せ、というのも潔しとしなかったですな。
でも、残念ながら自分では何も出来ない。
今は、点滴、そして背中の麻酔の管も外され、開けられた一番大きい穴からチューブの様なものが出ているが、違和感は無い。
何時退院するかは不明であるが、間違いなく週末にはウチに帰っている筈である。
お騒がせ致しました。
塾長は不滅です。(麻酔の麻酔の注射が痛かったことと、麻酔が切れてからお腹が痛かったのが辛かった。)
先日の“日々のブログ”でご紹介したが、来月大阪と金沢で、金融専門誌の“日経ヴェリタス”主催のセミナーの講師を務めることになった。
http://www.gaitame.com/blog/sakoh/2009/01/20090130085540.html
セミナーのタイトルが、“プロに学ぶ 資産運用のための情報収集・分析術”といって、普段の塾長の“お気軽なトーン”のブログからは考えられない“お堅いもの”であるが、要はあまた在る情報をプロはどうやって集め、それをどう考えて、如何に上手く使い分けて自分の投資判断に使っているかを考えてみようというものである。
FXに限らず、投資に最も重要なことを、正しい情報を如何に早く集め、如何にして自分の投資判断にプラスとなるように使うかであるが、はっきり言って、我々一般の個人投資家(塾長も今は、只の一般の個人投資家の一人でしかない。)が得る情報の多くは、プロが得るそれとはそんなに違わない。
勿論、プロが常に見聞きする顧客の取り引き状況だとか、市場での大口取り引きの状況は我々には分からないが、まあそれらの情報が常に我々の取り引きにプラスになるかどうかは分からない。
2003年から2004年に掛けて、あれだけ政府が大規模な円売り介入をやって、それを執行した銀行のプロのディーラー(介入事実を、真っ先に知り得る立場にあった。)が、介入に乗っかって利益を上げられたかどうかは、直ぐには円安にはならなかったことを思い出せば、答えは簡単である。
先週末発表になった1月の米国雇用統計は、失業率が7.6%に悪化し、非農業部門の雇用者数も約34年ぶりにまで落ち込んだが、ダウ平均株価は上昇し、ドルの為替相場も上昇した。
市場が注目していた経済指標の数字が、“随分悪かった。”にも拘らず、株価もドル相場も下がるどころか上昇した事実は、幾ら経済の専門誌を熟読しても中々理解は出来ない。
-市場のセンチメント。=(指標が悪いだろうと市場は既に前取りして、その様にPositioning.していたのであれば、週末を控えてそのPosition.の巻き戻しを計るのは当然である。)
-今週の新たな経済対策に対する期待の高まり。
-上で述べた、市場のセンチメントに通じるところがあるが、市場の需給。=(買われ過ぎていたか?あるいは、売られ過ぎていたか?)
などを考える必要があるのである。
そしてそれを知り、考えるには色々な情報源から重要なポイントを自分で掴み出さなくてはならない。
そしてそのポイントを如何に自分の投資判断の糧にするかは、これはもう自分自身の問題となる。
昨今、中央銀行が利下げを行うとすかさずその通貨が買い戻されるが、これは市場が利下げの発表前に利下げの事実を既に織り込んでいるが為であるが、これは幾ら自分で考え込んでも仕方ない。
下がると思っていたのに上がってしまったのでれば、ショートは切らなければならない。
相場をやるに当って、人それぞれ取り引きの決定を決めるまでのプロセスは違う。
ブログでもしょっちゅう話題になるが、
-ファンダメンタルズ分析を重視する学者肌の人。
-テクニカル分析を重視する緻密な人。
-ドタ勘を重視するトレーダー的な感覚の強い人。
-よく分からないからと言って、何でもかんでも他人の言うことに従う人。
-市場が上がると言えば売り向かい、下がると言えば買い向かう天邪鬼の人。
誰でもこのどれかか、あるいは幾つかが当て嵌まると思うが、実はそのプロセスはどうでもよくて、“結果良ければ、総て良し!”なのである。
要するに、投資をして利益を上げられればそれは成功である。
さて、塾長は以前にもお話したが、情報を集める為に幾つかの方法を取っているが、毎日曜日に自宅に配達される“日経ヴェリタス”をよく読むこともその一つである。
写真でご覧のように、先週号は“市場反転 シグナルは”が第一面からの主要テーマで、どうやって他人より一歩先んじて、市場を読むかを色々教えてくれた。
24ページのマーケット欄での、“金、逃避マネー流入で高値”とか、“個人、逆張りの豪ドル買い”も中々面白い記事であった。
昨日配達された“日経ヴェリタス”の第一面は結構ショッキングであった。
“欧州が危ない。米を越す不況、世界危機の火薬庫に”とある。
塾長が先日触れた“PIGS”の財政状況についても触れている。
“英、よぎるポンド危機の記憶”などの記事はぎょっとするが、読むと納得する。
71ページのインサイド欄での、“FX業者、規制強化で半減?”も面白い記事であった。
ちょっと興味があったのは、監督官庁である金融庁が、“集客を優先するあまりに、売値と買値の価格差であるスプレッドを無理に低く設定し、カバー取り引きを放棄する”低スプレッド取り引き“の監督強化も検討課題になっている。”との点である。
これは、塾長が先日たまたま触れたのと同じテーマである。
There is no free lunch.=(只のランチは無い。)
そんなに、旨い話(コストが安くて、安全で、全く心配が無い。)がある訳が無い。
もう一度、FXをやるに当っての諸々の“リスク”を考えても悪くはなかろう。
本題に戻るとしよう。
お断りしておくが、別に塾長は“日経ヴェリタス”の回し者でもないし、たまたまセミナーを行うから“贔屓をして”宣伝をしている訳ではない。
“日経ヴェリタス”は、数ある情報誌の中でも“大変役に立つな。”と思っているだけである。
言いたいのは、兎に角なるべく違った意見を読み、違った議論に耳を傾け、そして最後は自分で決めて、“やし、やろう!”と決めて投資行動を起こせばいいのである。
そして、その後は(結果は)自己責任。 That’s all!=(それだけ!)
週末、結構時間を掛けてこの“独り言”を書いたが、“書いたり、休んだり。”を繰り返した為に、ちょいと脈絡がよくないなと感じている塾長。
先日、珍しい所からお便りを頂いた。
差出人は、“西条小学校創立50周年記念事業実行委員会”とあり、宛先が東新橋の外為さん気付で塾長宛となっていた。
わー西条か、懐かしいなあ!
塾長は、総和22年8月8日に当時の広島県賀茂郡西条町、現在の広島県東広島市西条で生まれた。
加茂鶴、加茂泉、福美人、亀齢、白牡丹などの、江戸時代からの造り酒屋が軒を並べる有名な酒どころである。
西条町は盆地で夏は暑く、冬は寒かった。
日本酒造りに大変適している、いい水が湧き出ると聞いたことがある。
塾長は、この西条町の中心から少し外れた“スケザネ”(漢字が思い出せない。助実かな?)というところで、生まれ育ち、吉土実(よしとみ)小学校に3年間通い、小学4,5,6年生の時は西条小学校に通った。
そして、昭和34年(1959年)に卒業したのだが、丁度この年にこの西条小学校は吉土実小学校を含めた、周りの幾つかの小学校を統合して、新西条小学校が誕生した。
確かに今年は創立50周年ではないか!
塾長は卒業後、広島市内にあった修道中学に3年間、修道高校に1年間西条町(今の東広島市)から、片道1時間半の汽車通学をした。 (汽車ですぞ、汽車!)
西条小学校から二人修道中学に入学したが、級友の殆どは地元の公立の中学に入り、交友関係は殆ど途絶えた。
そして父親の転勤で神奈川県の平塚市に高2の時に移ったが、親戚があるわけでもなく、西条とはその後全く何の繋がりも無かった。
今でも、修道時代、高校時代、そして大学時代の仲間とは時々会って旧交を温めているが、小学校時代の音信は全く無かったので、凄く懐かしく嬉しかった。
外為さん気付で手紙が来たということは、間違いなく昨年広島で開催された外為さん主催のセミナーに参加された方の中に、友人(50数年前!)がいらしたのであろう。
感無量である。
懐かしついでに、塾長の気質の形成に多大な影響を与えたであろう、今までの過ごしてきた過去を振り返ってみよう。
またもしかしたら、“あっ、俺あいつのことを知っている!”なんて人が現れたら、嬉しいなあ。
そういう訳で、生まれてから16歳までは広島で過ごし、広島弁はお手の物である。
17~18歳の間は、平塚で過ごし、神奈川県立大磯高校に通った。
当時、神奈川県には“アチーブメント・テスト”なるものがあり、私学出身だと公立高校には入れなかったのだが、当時の大磯高校の校長先生(広島のご出身で、たまたま修道高校のことをご存知であった。)のお情けで転入させて頂いた。
修道は男子校で、ひょんなことから男女共学の高校に転入して、“もの凄く”嬉しかったことを覚えている。
で、勿論湘南弁の“….じゃんか。”も、お手の物である。
大学は北海道に行った。
動機は、余り大したものではなかった。
“何処の大学を受験しようかな?”と考えていた時に、当時のNHKの“新日本紀行”で北海道の自然の素晴らしさを紹介しており、“わあ、北海道って綺麗だなあ。 よし、俺は北大に行こう。”と決めた。
母親に言ったら、猛反対された。 父親は無言であった。
当時兄が、広島大学に在学中で、兄は広島、弟は北海道では、そりゃあ“これは大変なことになる。”と思ったのであろう。
塾長は一旦こうと決めたら、もう後には引かない。
で、勿論北海道弁も完璧に理解出来る。
皆さん、北海道って標準語を話すと思っていません?
違うんです。
アクセントが違うんです。
これは、文章で表現するのは結構難しいが、例えば、
-人の名前の佐藤。我々のアクセントはサからウに掛けて下に下がるが、北海道は砂糖と同じ発音、そうトを強調する。
-それと人懐こい語尾が多い。
何とか、ッショーッ。
ナーンモダー。
さて大学を卒業して、所帯を持つまでは両親と平塚で過ごし、その後はずっと横浜に住んでいる。
だから、勿論横浜言葉も完璧。 でも、横浜言葉は余り特徴は無いですね。
塾長の本籍は、鹿児島である。
勿論、両親共に鹿児島出身で、以前も申し上げたが昨年大流行(おおはやり)した“篤姫”様は、我々のご先祖様がお仕えした“お姫様”である。(勿論、直接ではありませんぞ!)
塾長自身は鹿児島に住んだことは無いが、言葉や気質は両親から大きな影響を受けた。
“薩摩気質”は半端じゃあありませんよ。
今頃こんなことを書いたら、女性軍から猛反発を喰らおうが、これは全く事実の話。
我が家で実際起きていた話。
-男子は台所に入ってはいけない。
用事があれば、母に頼む。
(だから、塾長は料理はおろか、お茶も沸かせないのです、悪しからず。)
-母は、お風呂は必ず一番最後。
-母は、父が帰宅して食事を始める前は、決して食べ物を口にしない。
躾は厳しかったですね。
で、鹿児島弁も自分では話せないけれど、ある程度は分かる。
塾長の人生を振り返ってみると、
-広島で生まれ、物心が付くまで育ち、
-多感な頃は湘南で過ごし、
-自由奔放な学生時代は札幌で過ごし、
-人生の半分以上は横浜で過ごしている。
そして、気質のバック・ボーン(思想・信条などの背景にあり、それを成り立たせている考え方。精神的支柱。 大辞泉。)は、鹿児島、ということになるのでしょうな。
両親が亡くなり、現在は鹿児島には親戚しかいない。
自分の本籍を何処に置くかは、子供たち自身が決めることであろうが、出来たら鹿児島に残しておいてくれたら嬉しいな。
だって、自分のルーツ(祖先。始祖。「―をたどる」 大辞泉。)ではないか?
こんなことを言うのは、歳を取った証拠かな?
懐かしい所からお便りを頂いて嬉しい塾長。
先週の為替相場は、年明け早々大荒れの展開となった。
オバマ新大統領の就任式当日の21日には、円は対ポンドで変動相場制以降最高値の119円台を記録し、対ユーロでも6年10ヶ月ぶりの112円台に入り、また対ドルでもあわや87円を切るか、というレベルまで急騰した。
正に、円の独歩高の観であった。
特にドル・円は、ニューヨーク時間21日の午前10時(日本時間の22日夜中の午前0時)を超えた途端に一挙に3円も下落し(円高)、数週間前から取り沙汰されていた大きなオプション取引がその原因であるとの噂が広がった。
塾長は、事の真相は知らない。
ここで余り詳しくオプションの解説をする積りは無いが、何が起きたかを推察してみよう。
マーケット・ソース(市場関係者)によると、
-ある大手の金融機関(A銀行としよう。)が、ドル・円相場が93円くらいの頃(12月の下旬か、1月の上旬?)、1月21日午前10時にExpire.(満期)の、ストライク・プライス90円のドル・プットのオプションを大量に購入した。
(易しく解説すると、A銀行が、1月21日午前10時に90円でドルを売る権利を有するオプションを購入した。)
この金融機関は、ドル・円相場が90円以下であれば、オプションを売却した金融機関(B銀行としよう。)に対して、その時の相場が何であろうと90円で売る権利を持っており、もし相場が90円以上であれば、その権利を放棄して市場の実勢相場で売ればいい。)
-期間が一ヶ月近くもあり、A銀行が支払ったプレミアム(オプションを購入した手数料。)はそんなに高額ではなかったろう。
これにより、ドル・円相場が90円より円安になれば、A銀行はプレミアムを払いっ放しでそれっきりになり、B銀行はそのプレミアムがそっくり、懐に入る計算である。
B銀行にとって、事はそう簡単には行かない。
ドル・円相場が90円より円高になれば、B銀行は無限の為替差損の危険性を抱えることとなる。
85円になっても、65円になってもB銀行はA銀行から約束した1ドル=90円でドルを買わなければならない。 だから、無限のリスクと言うのである。
ではB銀行はそのリスクを回避、或いは軽減する為にどうするか?
90円より円高になるケースを想定して、ドル売り&円買いの“デルタ・ヘッジ”を行う。
この“デルタ・ヘッジ”の比率は、相場の動きと満期日が近付くにつれて、非常に複雑に変化し、90円を下切ってしまえば、B銀行は、
-相場が下がれば下がるほど、より大量のドル売りをしなくてはならず、逆に相場が反転上昇しだすと、その売ったドルを買い戻さなくてはならない。
ご心配なく。 これは全て、コンピューターが計算して、“相場がこうなったら、これだけ売り増せ。 相場がこうなったら、これだけ買い戻せ。”と教えてくれる。
さて、相場の展開であるが、年初こそ“オバマ・ユーフォリア”の影響で94.64という“美味しいレベル”までドルが戻したが、その後は直ぐにユーフォリアが剥げて、あっと言う間に90円を割り込み、1週間も経たない内に88円台に突入した。
B銀行は“デルタ・ヘッジ”に奔走して、大量のドルを売った筈である。
逆にA銀行はほくそ笑み、“しめしめ!”と思った筈である。
で、このまままっしぐらに65円まで突っ走るか?
突っ走るかも知れないし、再び90円に戻すかも知れない。
どうするか?
89円から88.50まで、大量にドルを買うのである。
オプションの買い手は、相場がI.T.M.=In the money.(利益範囲に入る。)になると、実に簡単に利益を上げることが出来る。 だから、プレミアムを払って、リスクを取るのである。
取り敢えず、89.00~88.80で10億ドルを買うか?
次に88.70~88.50で10億ドルを買うか?
そりゃあ、ドル・円相場は急激に戻しますよね。
A銀行は楽なもの。
1月21日までに相場が上がれば(ドル相場)、この20億ドルをインター・バンク市場でキャッシュで売ればいいし、買ったレベルより幾ら下がってもB銀行が90円で買ってくれる。
左団扇(ひだりうちわ)のA銀行に対して、オプションの売り手で無限のリスクを負うB銀行は大変!
相場が戻りだしたら、またデルタ・ヘッジを減らすために大量にドルを買い戻さなければならない。
そして、90円をぶち切れて、91.30までオーバー・シュートしてしまった。
A銀行は、安値で買ったドルを見事に売り戻して、大量の為替利益(数十億円?)を得た。
さて、件の1月21日午前10時頃(日本時間の真夜中)のドル・円相場であるが、塾長は翌日の検査を控えて“たんぱく質抜きの食事”をした後、早々と寝ていたので勿論相場展開を見てはいなかったが、90円近辺で小一時間ウロウロした後、10時ちょっと前に90.12-16の高値を付けて、10時を過ぎた途端に急にドルが下げ始めた。
あつと言う間に3円の急落!
この急落の原因として、件のオプション取引がこの急落をトリガーした(きっかけとなった。)ということであったが、どうも腑に落ちない。
普通であれば、A.T.M.=At the money.=(ストライク・プライス)に近い相場が小一時間も続けば、A銀行は“何もする事は無い。”し、例の下で買ったキャッシュのポジションで“もの凄く”儲かった筈であるから、言う事無し。
片やB銀行も、ちゃんとしたデルタ・ヘッジを行っていれば、損失も蒙らなかっただろうし、恐らくポジションも限り無くSquare.に近いものであったのではなかろうか?
要するに、オプションがらみの偏ったポジションが有ったとは考えられなく、結局は、
-疑心暗鬼のマーケットが、ちょっとした売りに驚いて、パニックがパニックを呼んで、ストップ・ロスの嵐が吹きまくった。
-よく考えたら、どうもおかしい。 誰がドルを売ったのだ?と皆が、首を傾げだした。
-これはいかん! 早く買い戻さなくては。
それで一挙に89円台のミドルまで戻して引けたのであろう。
ご苦労様!
最初に言ったように、これは塾長の推測でしかない。
ただ、最近よく、“オプションがらみの売りが出て、云々。 オプションがらみの買いが出て、云々。”と言う話題が出て来て、甚だ面白くない。
何が起きたのか分からない時は、“オプション云々…..”、で話をまとめられたんでは適いませんなあ。
それでであるが、規模が件のオプションのように巨額かどうかは知らないが、まだ似たようなオプションがある。
第一回目は、ストライク・プライスが90円。 これは終わった。 大騒動となった。
これ以降は、勿論ストライク・プライスがもっと下。
ここ一ヶ月のPrice action.=(値動き)である、92.00-87.11(下げ)-94.64(上げ)-87.10(下げ)-88.80(上げ).が気になります。
皆さんは、塾長が口を酸っぱくして言い続けているように、兎に角ストップ・ロスのオーダーをちゃんと置いておいて、“損切りする時は小さく。”して、“利益を上げる時は大きく狙う。”ように努力致しましょう。
相場は結構動いているが、割合泰然としている塾長。