ゴールデンウィークの放送
「押すんじゃねーよ!」「もうちょっと、詰めてくれませんか」「すいません、降ろしてください」電車内でこんな会話が1年のうち一番飛び交うのが4月であろう。4月の車内の人口密度は特別である。新入社員や新入生にとって胸躍らせて迎える新しい季節であるが、通勤ベテラン社会人にとっては憂鬱な1ヶ月となる。なぜ、1ヶ月と言ったのかというと、不思議とゴールデンウィークを過ぎると車内が空いてくるからである。新入社員も1ヶ月経つと会社内でのペースが掴めてくるのであろう。また、大学生ともなると履修登録を終え、1限の授業を避けたり、授業に出なくなったりするからでもあろう。いずれにしても、ゴールデンウィーク前と後では車内の様子がガラリと変わる。
ゴールデンウィークというのは勤労、勤勉の意欲というもの水をさす力を持っているのであろう。正月というのは1年の始まりである。正月休みが終わると「今年も頑張ろう」という気にもなる。お盆前後に取る夏休みも4月からの新年度という時間でみると正月との中間に位置するのと同時に、お墓参りなど血縁というものを意識する精神的な休みでもある。夏休みの前後で格段大きな変化はない。
しかし、ゴールデンウィークは新しい季節を4月に迎えた直後にやってくる。「さあ、頑張るぞ!」と思った瞬間「さあ、休もう」となってしまう。ゴールデンウィークの「Week」は意欲に対する「Weak」なのかもしれない。
さて、今週はコンビニエンスストアを取り上げた。コンビニで異変が起きているからだ。出店の増加数が激減。24時間営業を止めるコンビニも出てきている。コンビニというのは私たちの生活の中にすでに入り込んでおり、生活そのものである。もちろん、飽和状態になりつつあるのもわかるが、私たちの生活自体が変化してきている可能性もある。24時間には防犯の意味もある。暗い夜道にコンビニの灯りがともり、防犯に役立つ。しかし、高齢者が経営するコンビニでの24時間営業は体力的に厳しくなってくる。
私たちの生活の一部になっているコンビニだからこそ、企業はコンビニを利用した新しいコラボレートを考えたりする。そのコンビニ自体も自ら知恵をだし工夫をすることから新しい飛躍の発見があったりもする。また、そういう方向で関係者は不断の努力をしている。コンビニの変化を見ることは世の中の変化を見ることでもある。そうしたコンビニはゴールデンウィークでも休む時間が無い。
4月7日放送分
普段は気にもならないことでも、他人に指摘されると妙に気になるものである。しかも、それが噂にでもなると気になる度合いも自ずと違ってくる。たとえば、「なあ、A子のことどう思う?」とクラスの情報通を自認する友人から聞かれたことがある。普段は気にも留めていないのだが、改めて聞かれると少しばかり襟を正す自分がいるのだが、「明るくていい子だと思うよ」と答えると「お前もそう思っているのか。実はA子もお前のことが気になっているらしいぜ」という顔はまるで欲しいモノを手に入れた時の子どものように輝いている。そういう会話があってからというもの、A子のことが気になっていく自分がそこにいる。それが噂になろうものならいろいろと面倒な事もおきてくる。噂というものは真実ならまだしも、真実と違うと実に始末が悪い。一体、どこで真実が曲がっていくのであろうか。
マーケットという彼女を見つめていると、その仕草が気になってしまう。噂も気になる。しかし、そうした噂も情報源の近くに居ることができればまだしも、ほとんどの投資家は情報源からかなり離れているところにいる。だからこそ、その噂、ニュースの程度や影響度をしっかりと見極めないとならない。安易に噂に翻弄された姿を見せてしまうとマーケットの方が機嫌を損ねてソッポを向いてしまう。したがって、ニュース、新聞など情報の取り方や処理は神経を使うことになる。
7日の放送では、そんな情報の考え方をお話した。今度の放送は4月28日の予定。
3月31日放送分
「僕に出来ることは、子どもたちが悔いの残らないように教育のチャンスを与えることだ」と言ったのは30年前の父の言葉だ。父は6人兄弟の長男、家も寺ということもあり、祖父から厳しく育てられた。祖父が父の勉強を見るときには手に角棒をもっており、答えを間違えると容赦なくイガグリ頭にその手が下りてきた。その光景は木魚を打つ姿に似ていたのかもしれない。そんな父は府立ニ中(現・都立上野高校)の出身である。そして、戦前、飛び級制度が出来た時に祖父からの「兄弟が多いので、1年でも早く大学へ行け」という言葉により、受験の準備もすることもなく1年早く大学受験をすることになった。さぞ、慌てたことであろう。大学に合格することはできたのだが、希望する学部に入ることはできなかった。しかも、翌年、1年間受験の準備をしてきたクラスメートが次々と希望する大学、学部に合格していった。そうした友の姿をさぞ複雑な気持ちで眺めていたのであろう。癒されない青春時代の悔しい気持ちからか、冒頭の言葉が私と弟に発せられたのだ。そんな父ももう80歳である。年老いた両親と昔住んでいた街を訪ねるのがこのところの親子三人の旅行になっている。その旅行の帰りに寄ったのが、3月31日のニッポン放送である。
しかも、今週のテーマは親の仕送りが減っている、という話題である。首都圏の私立大に昨年春に入学した「自宅外通学」学生への仕送りが月95900円で過去最低を記録したのである。4月から12月の仕送りを加えた「入学の年にかかる費用」は302万円!これでも減っているそうだ。
しかし、金額は減っているのかもしれないが、親は必死の思いで子どもたちに仕送りをしているはずだ。学生はもう一度、大学で学ぶ4年間をしっかりと考えるべきであろう。充実した4年間に出来るもできないも本人の気持ち次第である。
そんなことをしゃべりながらブースの外に目をやると、脛をかじられた父親が椅子にこしかけ私の方に視線を向けていた。